不透明なチカラですが、なにか?

テーマはいろいろ。というか絞れません。2013年7月以前は他のブログサービスからインポートしたので、リンクや画像等がなくなってるかもしれません。

式年遷宮は、日本最古のソーシャルデザイン?

『ソーシャルデザインの教科書』という本を読みました。考え方以前に資料として面白く、あっという間に読んでしまったのですが、プロローグに意外なことが書いてありました。

他では、こんな解釈を読んだことがありません。かなりビックリです。

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伊勢神宮式年遷宮は、日本最古のソーシャルデザイン。技術と文化の継承が「人材育成と雇用の場づくり」だという。

 

1300年前に天武天皇が仕掛けたサステナビリティな国家事業計画 

2013年10月、伊勢神宮式年遷宮のハイライトである内宮と外宮の遷宮が行なわれた。

 

伊勢神宮は、原則として二十年ごとに二つの正宮の正殿をいったん壊して、そっくり同じものを建て替える。しかも、このとき造り替えるのは、正宮だけではなく、一四の別宮のすべてに加えて、関連する六五棟もの建造物、果ては内宮の参道口にかかる宇治橋まですべてである。

さらに、ただ建物を建て替えただけではがらんどうである。社殿は神様の御在所であるから、気持ちよく住んでいただくには、社殿内を飾り立てる奉飾品や服飾「御装束」、武具や楽器などの調度の品々である「神宝」も揃えなければならない。これも建て替えるときに、一新される。その総数は、七一四種、一五七六点にも上り、人間国宝を含む名工の手で、数年から十数年かけて作り上げられるものだ。

と書いている。

建物だけじゃないなんて、ぜんぜん知らんかった。なるほどなぁ。遷宮はエコシステムなわけね。

三三もの祭事が行なわれ、2013年の遷宮では約五五〇億もの費用がかかったそうだ。

 

またもともとは、内宮に使う用材は神路山から、外宮は高倉山と決まっていて、最初の建築時に一〇〇年後、二〇〇年後も確保できるよう植樹から始まった。

ただ当初植樹したものは一〇〇年前に枯渇。木曽からの供給に頼っていたが、明治になって植樹が復活。今では四分の一を、本来の山から確保しているそう。

それだけではない。解体された社殿に使われていた木材はどこに行くかというと、捨てられてしまうわけではなく、全国の伊勢神宮分社の建築物にリサイクルされる。

 なんてこと。完ぺきじゃないの。

そして、こういう仕組みを創ったのが天武天皇だそうだ。もっとも生前にはできず、夫人で次ぎに即位した持統天皇がによって実現したという。

 

いやもう、『ソーシャルデザインの教科書』というタイトルながら、プロローグだけでかましてくれる。スゴい本だ。

「ソーシャルデザイン」の教科書

「ソーシャルデザイン」の教科書

 

 

 

だけど伊勢神宮って、俗っぽいものだと思ってた

神道の神々もだし、伊勢神宮自体も、けっこう人間的で俗っぽいものだと私は思ってた。遷宮『ソーシャルデザインの教科書』で書かれているほど、美しいグランドデザインなんだろうか。という疑問は、ある。

飛鳥時代の平均寿命は三〇歳前後だが、健康でいられた人は五〇〜六〇歳まで生きたと書いている。そうすると一生のうち二度遷宮を経験し、一度目は若い頃。二度目は熟練に達するころだと。

祭事をつかさどる神職、建設を担う大工職人、装束神宝を作る職人など直接行事に携わる人たちはもちろん、関連産業を含めて膨大な人たちがなんらかの形でかかわることになる。(中略)

すなわち、式年遷宮という一大イベントを起すことで、技術と文化を継承する人材と雇用を連綿と生み出していくしくみを作ったわけだ。

と書いている。キレイだ。かなり、キレイな解釈だ。

素晴らしい仕組みだと思うけど、見方を変えると、ただの公共事業とも言える。遷宮のサイクルにしても、出雲大社は60年に一度のはず。そうすると一度も関わらない職人だって大勢いただろうし。

二十年ごとという伊勢神宮式年遷宮が、「技術と文化を継承する人材と雇用」の仕組みだったというのはあったとしても、その理由はいまの公共事業でも、最大の理由だ。消費税増税で景気が落ち込みます。だから公共事業をぶち込んで、数字を作って、次の消費税増税につなげますとやっているのと同じ。

もちろん連綿と続くグランドデザインか、刹那的な対策かという差は大きいけど。

 

伊勢神宮の謎』という、やや俗っぽい本には、こんなことが書いてある。

そもそも伊勢神宮は朝廷の粗神であるアマテラスとトヨウケを祀る神社だから、朝廷の主たる天皇だけが参詣すればよく、ほかの人は参詣の義務も権利もなかった。

 

平安時代なかごろから、伊勢神宮はカネやモノの不足に悩むようになってきた。朝廷から与えられた神領からの年貢で財政をまかなえるはずだったが、その神領がつぎつぎと貴族や武士に奪われて荘園になってしまい、年貢があがってこなくなった。

 

カネやモノを手に入れた武士は、その次になにを欲するか。

栄誉である。

栄誉といってもいろいろあるが

「おれもとうとう、伊勢神宮に参詣できることになったぞ!」

これだけでもたいした栄誉だが、伊勢参詣の資格を手に入れたことが武士の世界の序列を高めるという俗っぽい利益にもつながる。

 

本-205『伊勢神宮の謎で書いているように、俗っぽいからダメなんじゃなくて、それが神道の神々のいいところ。本質的なところで素晴らしいと私は思っている。

遷宮にしても、リンク先に書いているように、どんな建物だって気枯れ=ケガレるから建て直すという神道的な思想がまずあるんじゃないんだろうか。

伊勢神宮の内宮にアマテラスが住んでいるわけではなく、マレビト。来訪する人だからこそ、余計に傷むということなのかもしれない。禊というのが本来、神の前に出るときに水で洗い清めることなのと同じ思想なのでは、と思う。

だからそんなに壮大で、キレイなエコシステムではないんじゃないのかなぁという気はする。 

新版 伊勢神宮の謎 なぜ日本文化の故郷なのか (祥伝社黄金文庫)