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不透明なチカラですが、なにか?

テーマはいろいろ。というか絞れません。2013年7月以前は他のブログサービスからインポートしたので、リンクや画像等がなくなってるかもしれません。

怒らないための、言葉のチカラ

[読んだ本から] [なんてことのない日常]

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半年ほど前ぐらい、理不尽なことが続いたからか、腹が立ってしょうがなかった。自分自身では、そんなに怒るタイプではないし、普通は大変だと思う状況でも、ぜんぜん平気だったりするし。

それでも一ヵ月間ぐらい、ムカムカはしないけど、いろんな怒りの感情がすぐに浮かんでくる状況が続いて、なんだこれは。カンベンしてくれと、ちょっと参ってた。

そんなときに本屋で出会って、読んだのがこの本。

 

 

スリランカ上座仏教の長老が書かれている。この方の本はどれも面白いけど、でも怒り記憶が繰り返し湧いてくるのを、どうすればいいんだか。沸騰するタイプじゃないから、その場では大丈夫でも、あとから湧いてきて怒りの感情にとらわれるのは、なかなかコントロールできない。

自分では、いろんなストレスが溜まり過ぎてて、こうなってるんだろうなと思ってた。

赤ちゃんは、花を見たら笑うし、お母さんにきつく言われたらすぐなくし、それで終わってしまいます。過去の嫌なことを、ぐちゃぐちゃと反芻したりはしません。

でも、大人は違います。嫌なことをしつこく覚えておいて、思い出したり、そういうろくでもない概念をまた延々と回転させるのです。

 そうそうそう、延々と回転させちゃうんだわ。バカだわと思うんだけど… 

怒りはどんどん膨張して、他人を破壊する前に自分を破壊して、不幸を味わってしまいます。

「怒りは猛毒」だと書いている。他人を破壊するようなことにはならないけど、自分をなぁ。精神的にも肉体的にも良くないよなぁ。

いやいやいや、だからそんなことは分かってるって長老! 

と怒りそうになる(笑)

 

脱皮のように「怒り」を捨て去る

結局、怒りをどうコントロールするかというと、「怒りが生まれたら蛇の猛毒のように考えて、薬で消してしまう」という方法が書かれています。

じゃあ、その薬ってなに?

これが仏教の修行です、みたいなことになって、後から殴られても、そのことに気がつかないお坊さんの話が出てきたりして、おいおいおいと言いたくなります(笑) 

趣旨は、我=エゴがいけない。エゴをなくせということですが、そこまで行くと、もう解脱しろって次元で(笑)

 

だいたい、怒りを「我慢する」「抑える」は大間違いだ。ガス抜きが必要だとストレス発散させようとする西洋的な発想は危ない、と書かれているぐらいで、根本は我をなくす人格形成が必要。

ということなので、そりゃあ凡人には無理な相談だ。

 

 

まあ他には、私は不完全だ。間違いだらけだということが心に入っていれば怒らない。怒りの感情が浮かんだら「ああ、自分は弱いんだ。精神的にも、肉体的にも、弱いんだ」と思うべきだ、とか。怒るのは、無知だ。怒りを治めるためには智慧が必要で、智慧と相性がいいのが笑い。「笑って生活したい」と心に言い聞かせる、などなど。

怒りの消し方について、さまざまなことが書かれています。

怒りとは何か、怒りの害、と来て、消し方のボリュームが一番多い。「何か」と「害」は単純でも、消し方は多岐に渡っている。

 

どの消し方も、完ぺきにはできそうにないけど、でも智慧として様々な知識を読んだり、再確認したり、納得できたりすることは、あの手この手で脱皮に少しばかり近づけそうだ。

 

私が一番納得できたのは、発散するという発想のダメさ。

私が足に怪我をして、痛くて困っているとします。そこに誰かが来て「あなたは足を怪我して痛いんでしょう? 私がその痛みを感じないようにしてあげましょうか」と提案します。「はい、お願いします」と答えると、その人は野球のバットを持ってきて、私の足を思い切り叩くのです。私の膝は折れてしまい、もう宇宙の星がぜんぶ見えてしまうほどの痛みです。でもお陰さまで、もともとの怪我の痛みはもう感じません。

もうまったくそう。もちろん発散といっても笑いならいいけど、他の痛みで誤摩化しているのはバカだ。

人格形成までは程遠いけど、こういうことを言葉で理解するだけでも、けっこうマシかなと。

 

今日のBGM-356【 Teddybears - Sunshine 】  

笑って、生きましょう(笑)