『コンビニ人間』が浮き上がらせる優秀な部品と、そこそこのフランチャイズ
買ったのは、ほぼ一ヶ月前。仕事帰りに書店によったら、芥川賞受賞作『コンビニ人間』のハードカバーが並んでいた。
いい装丁だなぁと思いながら、しかも作者の村田沙耶香の受賞インタビューを聞いていてこの小説面白いかもとも感じていながら、ハードカバーを買うこたあない。小説をハードカバーで買うなんて、ずっと置いておきたいか、すぐにでも読みたいかのどっちだか。
考えたら両方が成立する小説って、私にはない。ハードカバーで買うのはここ何年かだと村上春樹だけだけど、それでも半分ぐらいはブックオフに売り飛ばしてる。
読むのは文庫化されてからでいいやと、ぶらぶらと他の本を探していたら、文藝春秋の9月号があった。あれ、まだ扱ってるんだ。ジジくさいけど、これでいいじゃんと買うことにした。
読み始めると、なんだこれ。これが芥川賞かよ。平易なのに場面の様子がビジュアルで浮かんでくるほど、素直な表現力のある文章だなと思いながら、内容がつまんないやと読むのをやめてしまった。
私が本を読むのは電車の中か、寝ながらだ。眠さの方が、簡単にまさってしまった。
『コンビニ人間』の主人公は、36歳独身の古倉さん。大学在学中からコンビニのバイトを始め、卒業後もずっとコンビニでバイトをしている。
主人公は幼い頃から、変わり者というより危険な人格として、特に家族を驚かせ、なんとか矯正しないとと思われてしまう。主人公は、コンビニで制服を着て、マニュアルで行動すると「世界の正常な部品になれた」と感じる。
そんな話の展開に私は、凡庸なテーマだよな。コンビニを舞台にしてるところだけがあたらしいけどね。ぐらいに思って、あくびが止まらず、文藝春秋を投げ出して寝てしまった。
再度読み始めたのは、ごく最近。あたらしいバイト、白羽さんが登場してきた。こいつがもう、典型的なネット弁慶みたいなヤツで。いやネットは登場しないけど、リアルな世界でのネット弁慶みたいな。屁理屈で完全武装してるだけの、役に立たないヤツ。うだうだとトラブルを起こす。
その後の展開は、目が点になるような突拍子のなさで、寝られなくなってしまった。面白い。
白羽の縄文話は、アホかと思いながら、奇妙な納得感もある。現実に目の前にある作業もまともにできずに、縄文時代はどうのって爆笑しそうになる。
主人公の古倉さんは、普通とか常識というパブリックプレッシャーにやられているわけでも、自分をなんとか変えようと思っているわけでもない。ただコンビニという場所で、世界に必要とされているんだ感を得たいのと、白羽との関わりで、世間に対してカモフラージュしたいだけだ。
そのカモフラージュというのは、裸で街を歩いていたら逮捕されてしまうので、ユニクロで全身買って着ています。ぐらいのことで。
考えてみれば、世の中のほとんどの人は「正常な部品」ではなく、「優秀な部品」でありたいと、既存の価値観やロールモデルを見つけて、そのレールになんとか乗っかろうとする。すでにあるものに乗っかること自体が「優秀な部品」ではなく、「終わっている部品」の補充にしかならないのに。
最近の若い女性が、結婚相手として望む職業のNo.1は公務員だという。豊洲の問題にしても、公務員として出世することは、いかに無責任な立場になることなんだろうと私なんかは思う。いかに公務員村が「終わっている部品」であっても、その首にならない安定性と年功序列が魅力なんだろう。
いまぐらい多様な生き方ができる時代に、なぜと思うけれども、すでにある路線に乗っかる人たちは、往々にして乗っからない人たちを許さず、蔑む。それはきっと乗っかっていることに、どこかで不安を感じているから、不安を払拭するために、自分は正しいんだと思い込みたいがために隠れた攻撃性を発揮する。
コンビニ店のほとんどはフランチャイズだけど、なぜ本部がフランチャイズ方式でやっているかといえば、店の運営自体はしんどいし、リスキーだからだ。商品と物流と宣伝を握り、オーナーのリスクでお店ごとに競わせておけば、儲けるということでは特権的に楽だからだ。
もちろんフランチャイジーとしてコンビニを始める人たちは、そんなこと重々わかっている。わかっているのにどうしてそこに入るかといえば、システムとなによりロールモデルがないと不安だからだ。
『コンビニ人間』は、奇想天外な展開も面白いけれども、強烈なアイロニーも隠し持ってる。私は、その隠し方がとても面白かった。
なんか白羽みたいな感想だけど(笑)
アマゾンでも文藝春秋9月号扱ってた。
今日のBGM-427【Coldplay - A Sky Full Of Stars】