不透明なチカラですが、なにか?

テーマはいろいろ。というか絞れません。2013年7月以前は他のブログサービスからインポートしたので、リンクや画像等がなくなってるかもしれません。

大震災と東京の土地の記憶

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今週末、テレビでもSNSでも東日本大震災関連のことで溢れてた。早く復興させなきゃいけないし、福島原発廃炉の道筋をつけなきゃいけないし、そのためにも忘れちゃいけない、風化させちゃいけないのは当然だ。

 

だけど3.11の映像で、私が見たのは、被災地のものばかりだ。圧倒されるけれども、私にとってはリアリティが薄い。

3.11直後の風景で、私にとって圧倒的にリアリティがあるのは、都心に溢れる人、幹線道路の大渋滞。というより止まっているクルマ。広い歩道は歩く人で埋め尽くされ、ターミナル駅のバス乗り場、タクシー乗り場は整然と静かに並ぶ人々で溢れていた。

 

私は電車が走り出するまで会社にいた方が安全だと言っていたのだけれど、ほとんどの人は歩いて帰るという。埼玉方面までバスで行けるところまで行きたい。でもバス乗り場を知らないという会社の女の子二人がいたので、渋谷駅まで歩いて連れて行った。

二人をバス乗り場に並ばせて、ひとりで会社に戻る前に、食べ物と飲み物を買って渡しておこうと地下に降りたら、帰れないのを覚悟した人々があちこちに座り込んでた。

ところがお店は普通に営業して、食べ物を買う人達が殺到してた。

地下鉄、私鉄のホームには入れないようにシャッターのようなものが降りてた。JR渋谷駅も初めてみるシャッターが降りていた。JRが人を締め出している様子も、私にとっては強烈な記憶だ。

 

そんな3.11の東京のリアルな風景は残しておかなくていいんだろうか。

もちろん、東北の方が重要だ。でも、津波にのまれた地域は、ここより下に住んではいけない、などと書かれた碑があるのに、そんなこと関係なしにどんどん開発を進めた。言い伝え、土地の記憶を無視した結果でもあるんじゃないだろうか。

3.11後、広島でも土地の名前を変えたところが豪雨で大変な被害にあった。

 

それぞれの人が体験したリアルな記憶、目にしたリアルな風景だって、それぞれ違う。東京の記憶は、風化していいんだろうか。

歴史は土地に結びついている。どこの国でも領土問題がナショナリズムを煽るのは、場所が歴史そのものだからじゃないだろうか。

 

上の写真は、先週たまたま新国立競技場の建築現場を通りがかって撮ったものだ。確か通常は、ゲートが閉まってる。大きなトラックがやってきて、ゲートが開き、広大な土地が見えた。

あれ、前の国立競技場って、どんなものだったっけ。

 

オリンピックに向けて、東京都心はあちこち工事だらけだ。東京は災害がなくても、どんどん破壊されて、あたらしくなっていく。

そのことが一概に悪いとは思わないけど、土地の記憶をなくしてしまっていんだろうか。教科書に載る歴史だけが、歴史じゃない。

むしろ場所に結びつかない歴史なんて、どれほどの意味がある? ざっくり広大な範囲を指して「ここで大津波がありました」と、遠く離れたリアリティのない場所から「忘れない」と言ったところで、どれだけの価値があるだろう。

教科書に載らなくてもそこに暮らす人たち、働く人たちは、場所と濃く結びついた小さな記憶をいっぱい抱えている。

それは都市部だって同じだ。

 

 

たとえば今工事をしている渋谷区役所、渋谷公会堂はその昔、陸軍の刑務所があったところだという。そこが区役所兼マンションになるそうだ。

つながる法務局横には2.26事件で反乱将校たちが処刑された碑があり、NHKには、その幽霊が出るという噂がずっとある。そのNHKも建て替えるそうだ。

 

大震災の記憶で残しておかなきゃいけないのは、被災地の風景だけじゃない。東京だって、あの日何があったのか残しておかなくていいのかと思う。

だって東京の3.11以前の記憶は、どんどん上書きされて、消えていっているんだからね。

 

 

 

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災害と妖怪――柳田国男と歩く日本の天変地異 畑中章宏著 

 

「シブヤ遺産」を記録し、都市の未来について考える本。

シブヤ遺産 村松伸/東京大学生産技術研究所村松研究室 著

 

 

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