不透明なチカラですが、なにか?

テーマはいろいろ。というか絞れません。2013年7月以前は他のブログサービスからインポートしたので、リンクや画像等がなくなってるかもしれません。

武道必修化に武道9種目【銃剣道】が入ったのには、どんなチカラが働いているのか

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3月末、文部科学省が発表した「新学習指導要領」。その中学の保健体育に、「銃剣道」を含む武道9種目が明記されていて、Twitterでは「時代錯誤だ」の声が席巻した。
私も、どこに指導者がいるんだよとツイートしてから検索してみたら、銃剣道自体が、自衛隊でしかやっていないようだ。
上の画像は、YouTubeにあった大会の模様から切り出したもの。これを見る限り、突きに特化した剣道にしか見えない。

第23回全日本銃剣道選手権大会 準決勝&決勝 ダイジェストAll Japan 

 


今回「銃剣道」が入ったのは、ヒゲの隊長こと自衛隊出身の佐藤正久議員が国会で言い出したことが発端のようだ。文部科学省の既定の方針、つまり平成21年度「武道」が必修化されたときから武道9種目が明記されているのに、新指導要領に「銃剣道」が明記されていないのはどうしてだ、というもの。
明記されている? 明記されていない? そもそも武道9種目ってなんですか?

 

これ、一般の人にはまったく分からないかもしれない。
なんたって、武道9種目とは実質的に日本武道館が決めた団体のことで、実際は武道としてのカテゴリーでさえない。「銃剣道」だって、加盟しているということだけだ。私には、とても政治的な色合いが強いとしか思えないのです。
銃剣道」が新学習指導要領に入ったのは、どういう力学が働いているのか、どういう文脈なのかは、銃剣道だけを掘り下げても到底わかりません。
私が持っている知識や情報からどう考えているのか、あちこち敬称略で書かせていただきます。

 

目次は下記の通り。濃いわ(笑) 銃剣道のことだけ知りたい人は、スクロールして○武技としての銃剣道 からどうぞ。

◯武道9種目とは、日本武道館日本武道協議会加盟団体ということだけ
◯武道の伝統とは、なにを指しているのか
◯オリンピック競技になった全日本空手道連盟は、笹川良一が実質的な設立功労者
◯武道議員連盟とはなにか? 武道団体とつながるメリットは?
文部科学省スポーツ振興くじ、そして助成金の分配
◯道徳教育として、我が武道を!?
◯武道議連の議員たちは、今も武道をやっているのだろうか
◯武道団体の「伝統」の中心は、達人偉人のストーリーなのだけれども
◯武技としての銃剣道
◯剣道は、どうして小・中学生に突きを禁止しているのか
◯武道必修化で、学校は柔道指導者をどう調達したか
◯もしかしたら中学校に持ち込みたいのは、攻撃性だけ?

 

 

武道9種目とは、日本武道館日本武道協議会加盟団体ということだけ

 

私はいろんな武道をやってきて、合計すれば十段近い。私の叔父さんは老人だけれども、まだ現役でいろいろやっていて合計すれば二十段近い。しかも現在も学校関係者です。だから武道団体や政治との関係周辺、学校教育との関連などについて、一般の人よりはるかに詳しいのです。
そういう目から見て、まず武道9種目が新学習指導要領に明記されたこと自体が驚き。

だって武道9種目とは、日本武道協議会の加盟団体。日本武道協議会というのは、公益財団法人日本武道館が昭和52年に発足させた組織で、柔道、剣道、弓道、相撲、空手道、合気道少林寺拳法なぎなた銃剣道を指していますが、これは武道の種目ではなく、各団体をまとめただけなのです。9団体とは全日本柔道連盟全日本剣道連盟全日本弓道連盟、日本相撲連盟、全日本空手道連盟合気会少林寺拳法連盟全日本なぎなた連盟全日本銃剣道連盟です。

日本武道協議会平成26年に制定した武道の定義では、こうなっています。

武道は、武士道の伝統に由来する日本で体系化された武技の修錬による心技一如の運動文化で、心技体を一体として鍛え、人格を磨き、道徳心を高め、礼節を尊重する態度を養う、人間形成の道であり、柔道、剣道、弓道、相撲、空手道、合気道少林寺拳法なぎなた銃剣道の総称を言う。

http://www.nipponbudokan.or.jp/shinkoujigyou/teigi


この定義では9団体を武道と呼んでいますが、それ以外は武道ではないとでもいうのでしょうか。やっている人口が基準なら、全日本弓道連盟全日本なぎなた連盟、そして全日本銃剣道連盟が入るわけないと思います。日本相撲連盟だってアマチュア相撲団体だから、それほどの競技人口ではないでしょう。
武士道の伝統とは、なんでしょうか。主君のために命を投げ出すことでしょうか。武道をやっている人の中で、そんな話を聞いたことはありません。あるいは、この9団体が伝統? それ以外は伝統ではない?

 

全日本柔道連盟の本部は、講道館の中にあります。柔道には講道館以外に、組織ではありませんが高専柔道があります。総合格闘技などではこちらの方が注目されています。


合気会とは、植芝盛平 合気道開祖が作られた団体ですが、すでに三代目で世襲が続いています。他の合気道団体もあります。少林寺拳法はひとつの団体で完結する武道ですが、世襲で現在二代目です。講道館世襲でしたが、2009年に終わりました。また少林寺拳法宗教法人金剛禅総本山少林寺」です。
9団体はすべて公益財団法人と一般財団法人。前者はもちろん、後者も公益目的なら非課税です。

しかし公益目的事業が、特定の者に対する利益供与になっていないか。受益機会が一般公開されているか。公正な運営がなされているか等のチェックを毎年受ける必要があります。


9団体は、都道府県にも連盟を持っています。合気道の連盟はすべての県にあると思いますが、実態は合気会。公的な名称に聞こえますが、合気会本部が他流派の加盟を認めさせないのです。


日本武道協議会の事業として、4番目に「文部科学省スポーツ庁、武道議員連盟との懇談会の実施」とあります。文部科学省から補助金が降り、それが武道館で行う9団体の事業に使われるのです。加盟9団体は日本武道館を武道教室や大会に使用できますが、それ以外の団体は使用できません。税金が特定の団体だけで使われているのです。

公益財団法人日本武道館は、収益機会を特定団体に限定している理由を一般公開できるでしょうか。公益法人制度は、まず税制の問題だから、伝統だ文化だで押し切れません。しかもアイドルから外タレまで、〝興行〟に使わせているじゃないですか。武道に関してだけ、日本武道協議会以外の武道団体に使わせない、独占させている合理的な理由がどこにあるでしょう。
文部科学省にしても、世襲宗教法人の傘下に入らなければ、武道と認めないのであれば大問題です。

銃剣道は、日本武道協議会ばかりか、日本体育協会にも所属しています。

 

 

武道の伝統とは、なにを指しているのか


まさか文部科学省は、そこまで言及しているわけじゃないと反論するでしょう。でも新学習指導要領で中学の保健体育に、日本武道協議会の加盟9団体が武道として入るとしてしまったのだから、銃剣道をなぜ書かないと怒る佐藤議員の主張は筋が通っています。実際のところ、文部科学省は今ごろしまったと後悔しているのではないでしょうか。
さすがに銃剣道を持ち込むのは、いかがなものか。それもこれも加盟9団体と書いてしまったから。加盟9団体のうち、7団体は文部科学省で影響を及ぼせるけど、銃剣道防衛省のなわばりだ。利権にはならない。

誰がこの9団体を武道としたのかというと、日本武道館だけれども、過去の文部科学大臣がかわわってるし。この先、批判の矛先は文部科学省に向くけれども、過去の大臣は知らん顔だし、マスコミのそこまで目が向かないし。

 

 

また、この9団体に入らない空手や合気道は、空手・合気道ではないと言っているのに等しいのです。 ここに加盟しない空手や合気道の流派は、政治的な動きに疎く、このことに気づいていないのかもしれません。

柔道、剣道、弓道、相撲、少林寺拳法なぎなた銃剣道は単一の団体しかないでしょう。しかし空手は無数にあります。
沖縄では、一子相伝の武術を手(ティー)と呼んでいて、それに中国・台湾の武術から影響されたものを唐手(トーディー)と呼んでていたそうです。諸説ありますが、唐手が空手になったのは昭和初期、敵国の国名を冠にするのはマズイだろうという理由からだと言われています。沖縄でも昭和11年「空手大家座談会」において、唐手から空手に改称することが決議され、表記が統一されたといいます。

 

ところが沖縄にはそれまでにも様々な武技が存在し、大きく首里手那覇手泊手の三つの系統があり、それが現在の細分化された流派にまで続いています。後述しますが、全日本空手道連盟はその設立時に加わった団体・流派が定めた型や組手ルールであって、すべての空手を包括しているわけではありません。
明治になって、嘉納治五郎が様々な柔術から体育である柔道を作り普及させることを目指した。その流れに影響され、沖縄から日本本土へ唐手を持ち込んだ船越義珍が体育型化したと考えるのが自然でしょう。現在でも、それ以前の沖縄拳法の名称を使いながら全日本空手道連盟の選手に指導されている指導者もいます。

もちろん大山倍達の始めた直接打撃制、フルコンタクト空手は入っていません。全日本空手道連盟傘下でなければ空手ではないと言い出したら、世界中の多くの空手家から反発されるでしょう。

 

琉球拳法唐手/富名腰義珍

「唐手」の名称だが日本で初の空手本と言われている。初版大正11年の復刻版

 

 

空手ほどではありませんが、合気道にも多くの流派や団体が存在します。合気道は、植芝盛平が開祖。しかし「合気」という言葉は古くからあり、江戸時代の剣術や柔術関連の書物にも合気や相気の文字が出てきます。
合気道という名称はこれも諸説あるけれども、第二次世界大戦中に政府の外郭団体・大日本武徳会の統制下に入ったときから使われだしたというのが有力だと思います。それ以前はさまざまな名称が使われていますが、合気道までは合気武道だったようです。現代において合気武道という名称は、広い範囲の武道を指します。

 

戦後、植芝盛平合気道開祖が作った合気会はからは、高弟の独立が続きます。日本総合武道大会で塩田剛三が優勝し財界人の後押しを受け、合気道養神館を設立します。さらに合気会二代目を継ぐはずだった藤平光一がある出来事から独立し、心身統一合気道を設立。以来、藤平光一の名は黒歴史として合気会史からほぼ抹消されることとなったそうです。また嘉納治五郎から合気道に派遣された富木謙治は、合気道の競技化を目指し独立します。

合気道を、植芝盛平の作った技と定義するなら、動画を見れば一目瞭然で、年代によって変化し続けているのです。だから直弟子でも習った年代によってまったく違うと言われていますし、植芝盛平が求めた「武産合気」は、技が自然に次々と湧き出る境地。技を統一することは、真逆の方向性です。

合気道に(先制)攻撃はないとなったのは戦後のこと。植芝盛平開祖のたとえば正面打ち一教表は、二代目になって受けから打っていくものに改編されたといいます。攻撃するものではないから、攻撃方法を練習しない。でもその稽古していない攻撃を捌く/投げる技は成立するという、武技として大きな自己矛盾に陥っています。

 

戦後合気道群雄伝―世界の合気道を創った男たち

作家で武道家(合気会他)である著者が書いた本書には、少しだけ他流の合気道家も登場する。 それでも本部の許可が、なかなかおりなかったと聞く

 


剣道は江戸時代から剣術の道場で防具や袋竹刀による稽古方法が発生していますが、現在のような段位称号や試合のルールなどが確立され、剣道という名称が定着したのも、やはり大日本武徳会においてだとされています。各地の剣術ではなく、剣道が定着したのは明治期に警察官の必須になり、昭和になってから中学校の体育となってからでしょう。官公庁の剣道大会では、警察官が圧倒的に多いのです。

柔道も国内では基本的には同じです。違うのは前の東京オリンピックで正式競技になってから世界にも爆発的に広がったこと。またオリンピック競技になったことで、企業の柔道進出も盛んになり、競技人口が国内でも爆発的に増えたはずです。

 

 

これら武道の成り立ちからざっと見ていくだけで、伝統とはどこのことを指すのかがわかりません。もしかすると文部科学省は、21世紀になってからのことを「伝統」と言っているのかという気さえします。

 

剣道はいくつもある剣術の流派から出ていますが、現在の剣術の流派とはほぼ無関係。柔道は嘉納治五郎が作った柔道と、現在の国際柔道とはカラー道着からして大きく異なります。剣道は競技だから団体としてまとまり、柔道は国際的な競技だから、ルール変更によっていくらでも変質するのです。
だから武道の伝統と言い出すと、誰も分からないから黙ってしまいます。昭和になってからでも、現在に至るまで続いている伝統は、ほぼ皆無なのではないでしょうか。あるとすれば、相撲、弓道なぎなたですが、それはあまりにも現役人口が少ない気がします。


銃剣道の目指しているものは、きっと剣道。警察官の正課で学校教育に組み込まれているのですから、自衛隊発の銃剣道競技だって同じようなプロセスを辿れば普及するはずだと考えているのでしょう。

 

 

 

オリンピック競技になった全日本空手道連盟は、笹川良一が実質的な設立功労者

 

次の東京オリンピック競技になったのは、全日本空手道連盟の空手です。型競技も、組手も全空連のものです。しかし、空手には無数の流派があります。全日本空手道連盟に加盟していない空手流派や団体は数えきれません。

そもそも全空連日本船舶振興会(現・日本財団)会長・笹川良一氏の働きかけで、設立されたものだと言われています。日本船舶振興会はボートレースの収益金で、日本最大の財団だったようです。武道界にといっても10年ほど前までは、最大のパトロン。過去の助成金は、日本財団HPで公開しています。
全日本空手道連盟の設立には、剛柔流糸東流和道流、松涛館流の四大流派に練武館が加わっています。練武館防具空手ですが、その他はいわゆる伝統空手と呼ばれるものです。


ところが剛柔流糸東流和道流、松涛館流といっても、その中には無数の組織・流派があります。現在も全空連に所属していない組織や道場はいくらでもあります。

設立に向けて、故笹川良一氏から極真空手の故大山倍達氏への働きかけがあったけれども、大山倍達氏は拒絶したとされています。極真側からの情報しかないので、実際のところはどうだったのか、なんとも分かりません。ただ現在、世界で空手といえば、極真が広めたフルコンタクト空手知名度が圧倒的でしょうし、空手界/格闘技界への影響力でも圧倒しているのではないでしょうか。


ところが東京オリンピックに空手競技の採用に向けて、極真会館から働きかけ、大きな軋轢があったものの、友好団体になり、全空連ルールの稽古をしているとの話もあります。

ここが大きなポイントです。極真空手自体、極真会館から複数の団体に別れていますし、他のフルコンタクト空手の団体も無数あります。そういう現状でも大きく空手の普及という観点では、大同団結して、統一競技をした方が有利なのは間違いありません。

 


全日本空手道連盟に加盟している流派は、オリンピック競技になった全空連ルールで競っている一方、それぞれの流派の特色で稽古もしていますし、独自の段位も持っています。全空連のルールや段位とは、また別物なのです。
だから普及という面では、統一ルールを作り、大きな大会を開催する。一方で、武術・武道性の伝統という面では独自性を守るというやり方に、私は賛成です。


そのことと、武道の定義を日本武道館文部科学省が決めたり、補助金を左右するのはまったく次元の違う問題です。

 

武道を長年やっている人でも、あまりこのことを知らないでしょう。
笹川良一氏が作り上げたお金を配るための仕組みは、後述しますが文部科学省が受け継いでいるようです。日本武道館には文部科学省から4000万円以上の補助金、発行する「月刊武道」には総務省管轄の宝くじから1千数百万の助成金が出ています。 


そもそも日本武道館はどうして造られたんだろうと、調べてみたら先の東京オリンピックのためでした。

そして財団法人日本武道館の初代会長は正力松太郎。「読売中興の祖」ですが、笹川良一 - 正力松太郎とくれば、共通項は巣鴨プリズンに収監されたこと、CIAエージェントであったこと。
https://ja.wikipedia.org/wiki/笹川良一
https://ja.wikipedia.org/wiki/正力松太郎

 

いやぁあ、そんなところから始まってるのか(笑)

 

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武道議員連盟とはなにか? 武道団体とつながるメリットは?

 

大きな大会には、必ず超党派の武道議員連盟に所属する議員が来ます。武道議員連盟に所属していなくても、落選した大物議員や、その団体の理事をしているような議員たちがやってきます。


そうすると試合に出る選手や演武をする人たちは、立ったまま挨拶やスピーチを聞かされます。よくまあ関係のない話を延々としてるわ。バカじゃないのと私は思いますし、周囲でも言っていますが、他ではどうなんでしょう。それなりに大きな大会なのに、議員がやってこない団体もあります。要するに政治家とつながりがないのです。


つながりがないと、何か困るでしょうか?


公共のスポーツ施設は、たぶんどこも体育協会とつながりがあります。国体は、日本体育協会が主催しています。公益財団法人日本体育協会の初代会長は、嘉納治五郎講道館の創始者で、日本初のIOC委員です。

あとは、ずっと政治家・軍人・官僚でしたが、平成になってから3人の会長が民間から出ています。現在の第15代会長はトヨタ自動車の会長。その前の第14代会長は、森元総理です。なんとなく、イメージできるでしょう。体育に関係しているとは思えない方々が、会長になっています。

日本体育協会日本オリンピック委員会(JOC)は、ほぼ人脈的に一体と言っていいでしょうし、各スポーツ団体も所属しています。


さらに日本体育協会の下には、各都道府県の体育協会が。さらにその下には市区町村の体育協会が傘下にあります。
さらに全国組織の競技団体、さらに都道府県の、さらに市区町村の競技団体、さらに各種スポーツクラブや中高大学の運動クラブもこの下に入ります。もっと言えば、末端は自治会の体育指導員までつながります。一般的に自治会から出る体育指導員は、スポーツ歴とはまったく関係がありません。地域の運動会やスポーツイベント、県や市の大きな大会には例えばマラソン大会には沿道のガードとして駆り出される存在。

 

日本体育協会は公益財団法人ですが、そのつながりは行政そのものです。スポーツ指導者資格、ジュニアスポーツ指導員からスポーツ栄養士、スポーツドクターまで、公的な資格はここが出しています。

厳密に言えば、日本体育協会と各地の体育協会は別組織です。ここがどうつながるは、人脈を知らないと何とも言えません。日本体育協会JOCが一体と言っていいのではと書いたのは、たとえばオリンピック組織委員会の母体は、JOCと東京都。会長は森元総理、副会長はトヨタ自動車の社長やJOC会長。

末端がどうあれ、上はまったく同じ、お金集め以外では体育に関係のないところで回っています。政治的な存在です。各地の体育協会はどうなっているでしょう。


要するに公共の大きなスポーツ施設を使用したければ、日本体育協会か、その下にある各地の体育協会とつながりが必要になります。そして体育協会はほぼ行政みたいなものですから、政治家とつながりがあります。これも厳密に言えば、つながりがなくても使用できなくはない。もちろん真冬や真夏であれば可能でしょう。


真夏といえば、こんどのオリンピックは真夏です。日本体育協会では、スポーツ医科学の観点から指針を出しています。暑さ指数(湿球黒球温度)28℃以上は、厳重警戒で激しい運動は中止なのです。東京の夏は暑さ指数28℃以上。だからマラソンは早朝から始めることになったようですが、スポーツドクターは誰も賛成していないでしょう。

真夏にオリンピックを開催する理由は、経済面からの政治的判断としか考えられません。最初から小池都知事の言われるような、アスリートファーストではないのです。

 


では政治家の側には、どういうメリットがあるのでしょうか。利権は地元に、スポーツ施設や武道館を建設したり改修したりということぐらいしかなさそうです。実際に署名のとりまとめが回って来ることもあります。私は納得してなければ署名しませんし、所属する団体から強制されることもありません。
票になっているのかどうかは分かりませんが、政治家にすれば大きな票田だと考えているのでしょう。全国組織の団体なら、傘下に膨大な人数がいます。そして上の言うことに従順なら、大量の組織票が獲得出来るでしょう。

 

 

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文部科学省スポーツ振興くじ、そして助成金の分配

 

政治家のことから少し戻って、文部科学省が武道団体をどうして統括したいのかを書いておきたいと思います。


先に書いた文科省が「新学習指導要領」に入れた武道9種目。ではなく実質武道9団体。どうして文科省が武道を統括したいのでしょうか。

もちろんスポーツ立国を掲げているのだから、スポーツばかりか、武道も統一競技化をうながし、スポーツ化してオリンピック競技にしたいという方向性はあるでしょう。柔道はとっくにオリンピック競技になっていて、次の東京オリンピックでは空手を入れることが出来ました。しかし、その他の武道はまず不可能です。


また世界的な統一競技になったとしても、日本が運営面でもアドバンテージを握り続けるのは、柔道の現状を見ても不可能です。

 

文部科学省は自由に使えるお金が少なかったと言います。平成になってから始まったスポーツ振興くじは、日本体育協会JOCなどが発案し、スポーツ界出身の国会議員や森元総理などが積極的に動いて成立したといいます。しかし当選者への払い戻し率が50%と他の公営ギャンブルに比べても極端に低く、スポーツ団体に使われるのは10%程度だと聞きます。
だとすればスポーツ界出身の議員たちは、いったい何のために働いたのでしょうか(笑)

 

いや、それでもくじの収益は大きく、スポーツ助成に使われるお金は、それまでの数十倍になったそうです。
クジ関連業務やそこから派生する業務を、日本体育協会、その周辺の特殊法人に請け負わせ、実質的に業務をさらに民間に回していけば、天下り先をいくらでも作ることができます。

 

個人的な想像でしかないですが、武道カテゴリーはもともと文科省管轄。でも日本船舶振興会競艇は、国土交通省管轄。2005年に終わった日本船舶振興会から武道団体への助成を、スポーツ振興くじの収益金による助成へと変えることで、利権を確実に握ったと言えるかもしれません。タイミング的には、ほぼ一致しています。利権として確実にするには、対象が言うことを聞く、まとまった団体である必要があります。

 

スポーツ振興くじ収益金によるスポーツ団体への助成は、独立行政法人日本スポーツ振興センターからほぼ日本体育協会を通じて行われているようです。日本スポーツ振興センターは新国立競技場や代々木競技場とか秩父宮ラクビー場などを持っています。


新理事長は元ラグビー日本代表で、前Jリーグチェアマン。サッカー界からはまたラグビー人脈かよという声もあるようですが、普通に考えて森元総理の人脈。スポーツ振興くじが出来て以降、そして東京オリンピックが決まって以降、文部科学省と一緒になって森元総理の利権が急拡大し、人の面でもあちこち押えているということでしょう。

 

ちなみに現在の日本武道館会長は松永光元文部大臣。第106代の文部大臣ですが、その前第105代文部大臣は森喜朗元総理。なかなか笑えます。

日本のスポーツ界とその主要施設は、森元総理が牛耳っているのでしょう。

 

 

道徳教育として、我が武道を!?


ある武道議連の議員が、公の場で、この武道9団体のひとりのトップが「武道議連総会で小学校中学校教育の道徳として、我が武道をと発言されました。素晴しい」と発言されたので、聞いていた私は驚きました。中学校の体育ばかりか、小中学校の道徳だと!? 


文部科学省の意向ではなく、武道団体側からの陳情なだけだろうけど、本気で道徳として教えられると思ってるんだろうか。拡大政策としてなら道徳に入り込むのは、あざといほど上手いけど、頭おかしいんじゃないのかと。


道徳の教科格上げにともなって、ダンス・武道必修化と同様、学校側がどうやって時間を埋めるか困るのは目に見えていませんか。文部科学省が外部との連携を推奨するなら、パン屋ではなく和菓子屋に近い武道が入り込める可能性は高い。

しかし礼法ならともかく、それ以外は特定の思想しか教えられるわけがない。それが公教育として許されるのでしょうか。
日本の伝統である無駄のない礼法を教えるなら、小笠原礼法から招聘すればいい。武道によって礼法は異なるが、油断なく備えておく、が共通する。それは公教育でやることだとは思えません。

 

 

武道議連の議員たちは、今も武道をやっているのだろうか


武道議連に所属する議員の多くは、昔武道をやっていたという人が多いのではないかと思います。あくまで立ち振る舞いを見ていて、そうだろうなと個人的に想像しているだけですが。


プーチン大統領が柔道について語ったとしたら、それなりに説得力があります。でも森元総理が昔やっていたというだけで、ラクビーについて語っても、現役の選手たちは実際のところ鼻で笑うのではないでしょうか。
これって、職業の世界だってあるでしょう。昔はこういうことしてたよと教訓的に言う人は少なくないですが、ものすごい実績を残した人ならともかく、いったい何十年前の話だよと。環境もテクノロジーもまったく違うだろ、と私は思いますが、現役ではない偉い人から言われて困った経験は誰にでもあるんじゃないでしょうか。
経験のない方は、バブル時代の経費の使い方を持ち出されたらどうか、想像してみれば理解できるでしょう。


ところが武道の世界では、スポーツの世界よりはるかにやっかいなのです。スポーツの世界では、団体の上の方にいる人たちがたとえば水を飲まずに練習していた世代でも、今の時代に水分補給するなと言っていたら非難を浴びるでしょう。練習方法については、運動科学の知見がどんどん取り入れられています。


スポーツの頂点がオリンピックだとしたら、輝かしい成績を残した選手たちは現役引退後どうなっているでしょうか。試合で勝つ、その一点に向けて、骨が変形するとか生理が止まるとか、身体的な無理を承知で故障する寸前のところまでハードなトレーニングをするし、ウェアやシューズなども進化するのです。だから最新の科学的知見が優先されます。

 

しかし武道では、運動科学やスポーツ医科学でわかっていないことも多いのです。物理学で説明されることも少なくありませんが、科学的に解説されることと、それを習得して体現できることとはかなりの距離があります。これがイコールなら、周辺の科学者は皆達人になってしまいます。
そういうこともあって、精神論が幅をきかせたり、その武道を作った達人である先生がこうされていた/こうおっしゃっていた、作法はこうなっているなど、いわゆる「伝統」でまとめられることが強い縛りになります。

だから昔にそれなりにやっていただけの人でも伝統を持ち出すと、そしてそれが武道議連や有力な政治家ならなおさら、団体に対して影響力が出て来るのです。
しかし少なくとも明治以降の昭和までの多くの達人は、普通の生活をしていません。住み込みの弟子が、すべてやってくれたのです。それを平成の世で、基準にされてもなぁと私は思います。

 

武道でも同じですが、試合に勝つ一点に向けてトレーニングしていると、アドレナリンが過剰に出ます。アドレナリンを出し続けていると、血管がボロボロになるのです。

 

 

武道団体の「伝統」の中心は、達人偉人のストーリーなのだけれども


しかし達人のストーリーは、まちがいなく改編されています。流派発の情報は、いわば自伝ですから、脚色されます。マンガや映画になっているものは、エンターテイメントです。内部に対してはその方の解釈ですし、もしかすると都合のいい捏造だってあるかもしれません。ご高齢の場合、とんでもないボケをかましている場合もあります(笑)

私は織田信長徳川家康、戦国時代の武将たちのストーリーの話と、どれほどの差があるのだろうと思います。新学習指導要領でも聖徳太子の扱いについて、歴史学者による最新の知見よりも、ウソであったとしても歴史に興味を持つ物語。自分たちが習った知識を消されたくないという力が働いたようです。




たとえばある武道の流祖は、宮本武蔵に一度破れ、修行の末再度戦い勝利したとされています。しかし宮本武蔵に破れたときに、殺されないまでも再度挑むことが可能なほどのダメージで終わったのでしょうか。これが真実なら、一般に流布している宮本武蔵像が間違っているということにならないでしょうか。
私が実際に見た改編例では、以前は他の人ものとして本に書かれていた武勇伝が、版を重ねる中で、達人の武勇伝に組み込まれていたのです。もしかすると以前のものが間違っていた可能性もあります。

 

私はそんなこと、どれが真実でもいいと思っています。自分が達人ではないのだから、どなたの方法であっても、有効ならそれを稽古するし、昔々の物語は、教育に使われる歴史教科書でもそんなぐらいなんだから確実ではない。
問題は今、そしてこれからの自分。
だと私は思いますが自分自身がどうかを問わずに、達人や大会の優勝者など、伝説ばかりを持ち出す人が武道をやる人に多いのも事実です。


1.2年前のことならともかく、何十年も前に数年間やっていただけなら、現在は素人同然なのです。そんなことはスポーツなら常識でしょう。でも武道の世界ではスポーツよりはるかに、先輩・先達を敬う、立てる、序列として扱うケースが多いのです。
礼儀としてならともかくですが、対政治家に対してはどうでしょうか。

かつて猪瀬元都知事が「若いときは武道をやった方がいい」と発言されましたが、私には空手をやっていた方だという片鱗も見つけることはできません。
10年以上前ですが、当時自民党幹部だった亀井静香議員が、日本武道館で行われた合気会の大会で「稽古してないのに六段をもらっちゃいました」と笑ってスピーチしたことで顰蹙をかったそうです。亀井静香氏は東京大学時代、合気道部主将だったそうですが、やはり合気道をやっていた人の片鱗を私は見つけることはできません。ちなみに東大合気道部は、合気会ではありません。

おふたりとも武道議連ではないはずですが、政治家はそんなものだし、政治家とのつながりは、そんなところでしょう。


猪瀬元都知事の発言は、なぜやった方がいいのかの説明もありませんでした。やっている人、続けている人には様々な理由がありますが、やったことのない人には、武道という言葉に特別な響きがあるのでしょうか。


「武士道の伝統に由来する日本で体系化された武技の修錬による心技一如の運動文化で、心技体を一体として鍛え、人格を磨き、道徳心を高め、礼節を尊重する態度を養う」と言われると、そういうものだ思ってしまうのでしょうか。
武士道の伝統ってなんでしょう。確かに身近にも武士道に反するとか怒っておっしゃる重鎮はいますが、その方自身がご自分のおっしゃる「反する」ことを頻繁にやられています。礼節を尊重するのはその通りだと思いますが、人格は武道で磨けないと思います。少なくとも私は出会ったことがありません。私の伯父さんも私も、まったく人格者ではありません(笑)

 

「心技体を一体として鍛え」とはその通りだと思いますが、心技体と言う場合の心とは不動心とか平常心みたいなこと。分かりやすく言うなら、緊急の場面でも、キョどらないビビらない。緊張しない、心拍数を過剰に上げないみたいなことだと思います。人格とほぼ関係ないです。
平常心じゃないとフェイントに引っかかったり、体が出来ていないと技は出ないし出来ない。そんなのは格闘技だって、スポーツだって同じこと。心技体を一体として鍛えているでしょう。

 

だから政治で武士道とか武道と言う場合は、やっていない人にはわからない。都合のいいイメージだけを使っているのです。それも、(たぶん)昔やっていただけの人たちが言う、都合のいい精神論なのです。

 


武技としての銃剣道

 

銃剣道YouTube動画を見たとき、不思議でした。突きだけ? しかも腕を遠くに伸ばして突くこともないし、銃床で払ったり叩いたりもしていない。銃剣道とは銃の先に短剣を付け、銃弾がなくなったときに突撃するものだと思っていました。そうじゃなくても、先端が剣になっているものを使うなら、リーチを稼ぐことが攻撃には不可欠。回して使って単調な攻撃線にならないことや、重い銃床を使うことで軽い剣先を払うことが必須ではないでしょうか。

下の動画には、アメリカ海兵隊銃剣術が一瞬だけ出てきますが、回して銃床を使っています。そうじゃなければ攻撃線が単調だし遅いし、この形状の道具を武器として使う意味がないのです。むしろ邪魔。

(余談ですが、GHQに日本武道の精神性を訴え、殺傷術ではないことを対戦して証明しろとなったとき、剣道・剣術界からは異端扱いだった鹿島神流第十八代宗家 國井善弥に助けを依頼したのです。幾多の他流試合では相手が望む条件で試合を受け、生涯不敗で「今武蔵」と呼ばれていたといわれます。当時の鹿島神流は剣術が中心ですが、総合武術でした)

 

 

沖縄の土着の武術では、農機具を武器として使ったといいます。そういう中からヌンチャクやトンファーが生まれたといいます。薩摩藩琉球支配により、帯刀など武器の携帯を禁止されたことにより、日常に使用する道具の武器化に拍車がかかったとされています。
とにかくすでにあるものの形状を活かし、武器に仕立てていったのです。銃剣道が銃剣の形状を活かしていないのは、どうも腑に落ちません。
そこらへん、どうなっているのか検索しました。ウィキペディアには、技法面の特徴としてこうあります。

旧日本軍で用いられた日本式銃剣術は、槍術を参考に誕生したこともあり、小銃(歩兵銃)の長さを生かした突き技がもっとも重要視されて徹底的に訓練され、銃床での打撃技などはあまり重視されなかった。これは欧米人との体格差を考慮したものと思われる。

 

戦後、幾度かの教則改正(いわゆるルール改正)を経て、現在では特に左手で握ることができる位置が限定され、接近した場合での木銃(もくじゅう)を短くするように持つことや、左手を滑らせることにより遠くの相手へ剣先を届かせる「繰り突き」(槍をしごく動作)、または銃床部にあたる「床尾板」(しょうびばん)での打撃は禁止されている。

 


この通りなら、私が思っていたようなことは、どれも禁止されていたのですね。
その理由については、こういうことのようです。

戦技的イメージを持たれることがあるが、全日本銃剣道連盟は「戦前の戦技的内容を払拭した競技武道」としており、一般に受け入れられやすいようにスポーツ色を強めようとしている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8A%83%E5%89%A3%E9%81%93

 


しかし「宝蔵院流佐分利流などの日本の伝統的な槍術をもとにした日本独自の銃剣術が制定された」ともありますが、現在の銃剣道に私は槍術の影響を見つけることができません。やっぱり、文部科学省の言うような伝統はどこにも残っていないのです。

 

それにしても、競技であっても実戦に使えない技術なら、どうして自衛隊では銃剣道を訓練するのかという疑問が出てきます。それについては、まず現代の戦争で、仮に自衛隊がアメリカ海兵隊のようにどこかに上陸・進撃したとしても、銃剣の剣を使う場面なんて、どこにもないだろうという大前提があります。
使えないから、訓練しないかというと、そうでもないと私は推測します。

 

警察官は柔道、剣道が必修だと思いますが、柔道は犯人に組み付いて使うことはまだあるでしょう。でも剣道はどこかで、竹刀でも木刀でも持ち出して使う場面があるでしょうか。ないですよね。
たぶん剣道では、闘争心とか、相手が銃ではない武器になるものを持っていて組み付けない場合の素早い出入りとか避けたりする反射神経を養っているのではないでしょうか。逮捕術とか警棒術とかもあると思いますが、激しくハードに攻防する、しかも安全に出来るのは訓練するには剣道だという理由だと思います。居合いや剣術で真剣を使ったとしても、実際の攻防はまったく別もの。技や術理以前の、強健な肉体や度胸がつかなければ、向ってくる暴漢や必死になって逃れようとする犯人に立ち向かえません。

 

東京の警察・警視庁のSPには、合気道養神館に送り込まれて修行した人もいます。現実の要人警護の場面で会話したこともありますが、物腰が柔らかで、背はかなり高いものの、アメリカのようなごついゴリラタイプではまったくありません。
この人たちだって、銃を持って暴漢が襲って来たら銃を使うでしょう。それ以外のときに合気道をメインに使えば、外国要人の前でも怯えさせる可能性は低いでしょうし、テレビカメラを持った報道陣がいても過剰防衛だとか残酷だとは思われにくいはず。どう考えても瞬時に制圧するなら、円転する合気道より他の格技の方が速いのです。そう私は考えています。
要人や報道にも関係のない場面なら、警察官は暴漢に対して間違いなく警棒をガンガン使うのです。


そういう文脈からすると、銃剣道自衛隊が訓練するのは、突っ込んで刺突することの度胸を養うことぐらいしか想像できません。強健な肉体をつくることなら、他の格闘術がいくらでもあります。
外に対しての銃剣道は、「戦前の戦技的内容を払拭した競技で、スポーツ色を強めようとしている」そのものですね。

 

 

剣道は、どうして小・中学生に突きを禁止しているのか

 

剣道の中で、突きは危険度の高い技とされています。ある程度、肉体が強靭になる高校生以上にしか許可されていません。防具の間をぬって、のどに直接入る危険性もあるし、カウンターで当たれば後ろに吹っ飛んで頭を打つ危険性だってあります。

実は肉体が強靭とかどうかどころか、中学生ぐらいまでの男子は、胸に筋肉も脂肪もほとんどない人がいっぱいいるのです。胸に衝撃を受けただけで、心停止してしまうケースもあります。野球のボールを胸に受け、心臓が止まってしまうことさえあります。

学校の体育や部活動での、心停止の事故は公式に発表されています。そこに銃剣道を保健体育として、持ち込むのでしょうか。銃剣道には、突きしかないのです。

 

 

武道必修化で、学校は柔道指導者をどう調達したか

 

うちの方では、中学生の子どもを持つ親から「柔道着を買わされたけれども、1度授業があっただけで、あとは何もない」との怒りの声が渦巻いています。学校は、文部科学省の方針に従おうにも、指導者がいないし、事故が怖いということでしょう。柔道は学校内での死亡事故最多です。原因は、頭を打ってが大半です。

2012年、学校の対応がニュースになりました。
愛知県では県教育委員会が県柔道連盟に委託し、体育教師に6日間の講習で黒帯を取得させ、昇段試験を免除した。
大分県では2日間の講習で、黒帯を取得させたという。どちらの教育委員会も学校での指導に、有段者であることと安全性の問題は関係ないとしていて、講道館にも確認すると例外扱いも「問題なし」とのことのようです。
ケツを講道館に持って行って、自分たちの責任を回避する教育委員会。そもそも教育委員会に柔道の何かが、わかるんでしょう。そりゃあ学校現場はビビって、授業できなくなるわ。

柔道の初段は、要するに試合して同級程度3人に勝てばいい。だから体育教師ならそれなりに運動能力が高いだろうから、ちょっと技を覚えれば勝てる可能性は高い。いやでも、問題はそんなことか。

まず柔道が、初段で指導出来るということにも驚き。そして、自分の強さと指導できるかどうかは、ほとんど別問題。柔道の町道場なら、入門する子どもはそれなりに体力や運動神経に自信があるだろう。
でも学校では、千差万別。これを指導しようとしたら、ひとりの指導者が見られるのは6人程度かもしれない。そうなら1クラスの授業に30人としても、指導者は5人必要だと私は思う。乱取りなら、ひとりの指導者が二組見られるだろうか。そんな予算があるわけない。


じゃあ剣道で禁止されている突きしかない銃剣道の授業をするなら、どうだろう。自衛隊から10人ぐらいの指導者を派遣してもらうしかないかも。あるいは突き合う稽古をせず、号令で単独でヤーと突く稽古だけをさせるとか。
どれだけ安全管理の方法を机上で学んだとしても、コンタクトする競技で、様々な身体能力の子どもたちが練習する様子を見守ることのできる人数はスポーツほど多くないのです。


こう考えても、文部科学省にどんな目論みがあるんだろう。実際に授業できるのか、かなり疑問だけどという結論にしかならないです。

 


もしかしたら中学校に持ち込みたいのは、攻撃性だけ?

 

大人だって週1回1時間程度運動するだけじゃ、フィットネス効果はほぼない。やらないよりは、マシってだけだ。
指導者を確保するのは至難の業だし、それでも無理して中学校に武道を持ち込む理由はなんだろう。中学生は筋肉だって、それほど付かない。まだまだ発育途中なんだから。
いや、そんなこと文部科学省は重々承知でしょう。そうすると自分たちの利権拡大以外には、教育の場で、好戦的な雰囲気と縦の関係性を一般の学生にも植え付けることが目的?

来るべき戦争に備えて、少しでも自衛隊員を増やせるベースを作りたいってことか。そういう政治の流れに文部科学省が貢献できるのは、教育現場を組み替えることだ。とかね。

 

でも柔道と同じく、中学校ではそれほどやれないだろうと私は予想します。この先、外部に指導者を求めることを文部科学省がゴリ押ししなければ、ですが。

 

で、これはゴリ押し?

2023年の国体から、銃剣道が隔年実施から毎年に格上げされ、ボクシングが隔年に降格させることを日本体育協会が決めたそうです。ジュニア世代の充実や競技団体のガバナンスなど6項目を点数化しての決定ということですが、銃剣道のジュニア世代がどれだけいるのでしょう。

中学校で今から始めることが確実だから、かもしれません。だとすれば自衛官が中学校に指導に入るわけですね。

 

 すべての教育は洗脳である