不透明なチカラですが、なにか?

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松岡正剛×水カン・コムアイが、お互いの仕事場で対談した[SWITCHインタビュー]をやっと見た

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4月15日の深夜、NHK「SWITCHインタビュー 達人達」で、松岡正剛と水曜日のカンパネラのコムアイが対談した。

私は放送終了後にツイッターで知ったんだけど、なに!? 松岡正剛とコムアイだと!! そんな面白そうな番組があっただなんて。

再放送を録画してみたんだけど、いやいや面白かった。私はふたりとも好きだ。松岡正剛さんには学生時代からずっと影響されてるし、水曜日のカンパネラはメジャーデビューアルバム「SUPERMAN」をけっこう聴きまくってる。

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あ、買うならCDを。アルバムの形状からして意表をついてます。 

 

水曜日のカンパネラやこの「SUPERMAN」のことは前に書いたけど、アーティストとしてのコムアイについてほとんど触れてなかった。番組を見て、コムアイさんの目指すところが伝わってきて、さらに興味が膨らんだ。

 

 

セイゴオもコムアイも、以前からお互いに興味を持っていた

 

松岡正剛事務所が運営するサイト・セイゴオちゃんねるには、こう書いてある。

2人の初対面は2015年に行われた舞台「影向」(出演:松岡正剛田中泯宮沢りえ・石原りん)をコムアイさんが観覧したときのこと。互いに気にしあっていた時期を経て、とうとうこの対談が実現しました。

へー、そんな舞台があったんだ。濃いな。

番組では、こんな風に気にしあいぶりが語られた。

松岡正剛さんは、「陽水、桑田、中島みゆきユーミンが持っていた何かが
感じられなくなった」「 がっかりしていた何かを、この人は払拭するかな」「2年目かのときになんかピンときましたよ。YouTubeで見てました」みたいなことを言っていて。

一方、コムアイさんはデビュー前、東京駅の丸善内にあった松岡正剛が編集した売り場・松丸本舗まで、トークショーを聞きに行っていたという。

マジか。コムアイさんがいくつのときだよ。と驚いた。高校生だとしたら、ずいぶんと早熟というか、老けたJKだ。だって松岡正剛ファンなんて、おっさんばっかり。

 

私は松岡正剛ファンだけど、今までファンだという人ととしゃべると、必ずといっていいくらい、ガッカリした。「松岡正剛がこう言った」というばかりで、で、あなたはどう思ったの? どうしたの?というところがまったくない。

知の巨人を崇拝する私は、すごいっしょ。という信者ばかり。

それがコムアイさんには、まったくなさそうなところにも驚いた。松岡正剛のことを知っていて、それで臆するところがなく、対等に語っている。

 

ちなみに今回語られた「陽水、桑田、中島みゆきユーミンが持っていた何かが
感じられなくなった」というところに、私はかなり違和感を持った。深さみたいなざっくりしたことなら理解できるけど、この巨匠たちとの流れとは、ぜんぜん違うだろう。

井上陽水中島みゆきユーミンは、聴くとその風景が浮かんできてしまう曲が多いけれども、それでもかなり違う。

陽水が「夏がすぎ 夢あざみ 誰のあこがれにさまよう 青空に残された 私のこころは夏模様」と唄うと、なんかよくわからないけど、昔むかしのどこかの田舎ののどかな風景が浮かんできてしまう。

中島みゆきが「夜明け間際の吉野家では 化粧のハゲかけたシティガールと ベイビィフェイスの狼たち 肘をついて眠る」と唄いだすと、昔むかしの新宿の大ガード近くの吉野家が見えてくる。吉野家があったかどうか知りませんけど(笑)

このふたりは情景描写が心象風景になってる。

ユーミンは情景描写が主だけれども、女性ならでは心象の物語。桑田佳祐は、意味の解体だろうか。いずれにせよ、コムアイとはかなり違う。シンガーソングライターでもないし。

 

 

逢魔が時のような異界の扉を開けたいというコムアイ

 

水カンの曲名は、歴史上の偉人とか有名人が多いけど、それはコムアイさんが「ルールを作りたい」と考えたのだという。

「曲のタイトルを子供みたいに思ってもらえるというか感覚に名前をつけるとしたら、人の名前とか可愛がりやすい名前、
人格が立ち現れるものがいいなって」 それは尊敬の対象というよりマスコット的な扱いなんだそうだ。

確かに水曜日のカンパネラの歌詞は、誰もが知っている歴史上の有名人を持ってきて、そのパブリックイメージを解体している面白さがある。というところは、桑田さんに近いのかも。もっとも作詞作曲は、Kenmochi Hidefumiさんだけどね。

 

『マリーアントワネット』について、松岡正剛さんは「ラップのせいかもしれないけど速い。
フランス革命、マリーアントワネット、
お菓子を食べればいいじゃない まで行くのが数秒。
わかっててやってるのが面白い」という。

 

ラップは韻を踏むけれども、それは同じ音の繰り返しでリズムを生む。意味のつながりはあったりなかったりだけど、なくても伝わってくるイメージが面白ければいい。すると文脈がぶった切られて、意味が解体されていく。

水曜日のカンパネラの歌も、そういうことだろう。と思っていたら、松岡正剛さんが恐るべきことをおっしゃる。

「学生の頃、電車に乗ると車窓に風景が見えますよね。それを言葉にしようとすると
、有声言語との意識のスピードがずれてて追いつかない。それをエディットしようと思った」

おお、編集工学の目覚めは、こういうことだったのか。

 

「意識が持ってる次に行きたい速度を、上手く引っ張っている。
こういうアーティストがやっと出てきた
」

速度かぁ。速度なんてことはまったく考えなかった。 

 

番組の中でコムアイさんから、聴く人を自由にしたいとか、安全なところじゃなくて異界の扉を開けたいというような話があった。

歌詞を書いているのはコムアイさんじゃないけど、歌詞は意味をぶった切る手段。もしかすると意識以上のスピードで唄い、お笑いだったり舞踏だったりを引用する縦横無尽なパフォーマンスで異界に連れて行こうとしているのか。

 

井上陽水以外の誰かが「少年時代」を歌っても、なかなか昔むかしの田舎ののどかな風景が現れてはこない。中島みゆき以外の誰かが「狼になりたい」をカバーしても、昔むかしの新宿の吉野家の店内は見えてこない。

歌詞だけではなく、それが歌い手の力量。歌唱力があるとか説得力があるとかじゃなく、VRのようにリアルに思える風景を見せてしまう特別な表現力。

確かにコムアイさんには、その能力があるな。歌手というより、パフォーマーとかアーティストと言った方がいいのかも。

 

 

「アラジン」のMVなんて、コマネチやヨロチクビまで使ってるもんな(笑)

今までの歌手やアーティストの文脈とはまったくちがう大物なのかもね。もしかすると表現者としては、田中泯が一番近いかもしれない。方向性としてはPOPな田中泯なのかもね。なんて思った。

 

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