不透明なチカラですが、なにか?

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『残酷すぎる成功法則』にあの瞬殺された合気武道家が出てきて爆笑した話

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もう年末だから、今年も読んだ本で残しておくものと、ブックオフに売り飛ばす本を仕分けてる。そんなの一瞬で分けられるんだけど、昨年に残しておいても結局この1年読み返さなかった本をどうするかは、結構厄介だ。

 

面白いんだけど、残しておくほどのこともないしなぁと迷う本はある。『残酷すぎる成功法則』は、まさにそんな本だ。

あ、そうじゃん。ブログに書いて売っちゃえばいいんだよなと気がついた。この本が面白いと思ったところは、せいぜい一過性のもの。私にとっては、ブログネタ。ブログに残しておけば、あとで読み返して楽しめるし。

 

そのネタとは、合気武道家のこと。そこだけ読みたい人は下の目次から飛んでもらうとして、『残酷すぎる成功法則』はかなり面白い。面白いけれども、いい本でもなんでもない。そう思っている理由も書いておく。

 

 

 

『残酷すぎる成功法則』を買った理由は

誰が言おうが普遍的な成功法則があるなんて信用していないし、そんな嘘くさい本を買ったりしない。

買ったのは、なにより橘玲さんが序文と解説を書いていたからだ。橘玲さんの本は面白い。橘玲さんは間違いなくヒドい人で、ズケズケ書く。その遠慮なさっぷりが、本質的なところをエグくえぐっている。

そのエグり方を私は信用している。好きだってわけじゃなくてね。

以前、こんなことを書いた。


そんな風に思ってる橘玲さんが、「著者はうさんくさいものの代表だった自己啓発にどのようなエビデンス(証拠)があるのか、"科学"をもちこんだ」と書いている。

 

自己啓発本の大ベストセラーであるカーネギーの『人を動かす』やコヴィーの『7つの習慣』も、いまや科学のフレームワークで語ることができるようになったのだ。

こうした検証作業はたとえば、「強く願えば夢はかなう」かどうかを調べたニューヨーク大学心理学教授ガブリエル・エッティンゲンの実験によく現われている。

それによると、ヒトの脳はフィクションと現実を見分けることが不得意で、夢の実現を強く願うと、脳はすでに望みのものを手に入れたと勘違いして、努力するかわりにリラックスしてしまう。

ダイエット後のほっそりした姿を思い描いた女性は、ネガティブなイメージを浮かべた女性に比べて体重の減り方が10キロ(!)もすくなかった。成績でAをもらうことをイメージしている学生は、勉強時間が減って成績が落ちた。

 

ああ、なるほどこういう内容なら、9割の人が間違っているというのも、うなづける。面白いじゃないの。

 

自己啓発本の定番であるポジティブシンキングは、まさに「間違った木に向かって吠えている」のだ。

 

 『残酷すぎる成功法則』が日本語のタイトルで、「間違った木に向かって吠えている」ーBARKING UP THE WRONG TREEーが原題。

なるほどね。だったら読んでみよう。

と思っちゃたわけです。

 

 

帯に書かれているこういう話、面白いでしょう。

成功者は優秀?  →アメリカの大富豪の大学での成績は良くない。

成功者は社交的? →第一線の専門家やトップアスリートの9割は内向的

成功者は健康?  →シリコンバレーの成功者の多くは精神疾患スレスレ 

 

 

『残酷すぎる成功法則』のエビデンスは科学的じゃない

エビデンスという言葉は、どんなジャンルでも大流行りだ。だけどエビデンスは、業界によって使われ方がかなり異なる。

銀行とか役所とかでエビデンスといえば、公的な証明書類ということだ。たとえば運転免許証とか住民票とか登記簿謄本とか。だけど偽装もできる。土地の詐取とかができるのも、偽の書類を積み重ねていけば、登記を更新できたりする。

IT業界だと記録(ログ)ってことだ。これだって、偽装できる。だし森友問題みたいに役所が「捨てました」と言えば、なかったことにできる。

だから日本では証拠にならないことに、エビデンスと言っている。

 

医療の世界ではエビデンス=証拠に近いけれども、信頼性にはとんでもなく幅がある。権威が認めていること、の信頼性は低い。比較実験を行なった結果だと、信頼性が高い。

それでも例えばAという薬は、がん患者の90%を完治させたとかなら信頼性が高い。でもガンは完治したけれども、70歳以上の患者はみんな死んでしまったとか(笑) 

副作用まで含めれば、エビデンスの信頼性は、ものすごく細かく条件分けをしなければ、価値がない。人間が扱う以上、都合のいいところだけを意図的に使いがちだ。

つまりわざと騙すために。

 

なんでこんなことを書くかというと、私はエビデンスという言葉を使う人に、懐疑的だ。

本書『残酷すぎる成功法則』のエビデンスは、著者の取捨選択した誰かの体験とか心理学者の学説とか史実とか特異な物語だ。

だから科学的でもなんでもない。科学的なら再現性があり、ここで語られている成功法則に則って行動したり精神状態を作れば、成功する確率が飛躍的に高くなるはずだ。

しかし、こうしろという断定的な成功法則は、どこにも出てこない。

 

そう日本語版のタイトルが内容からすればおかしいだけで、本書に書かれているのは「間違った木」の数々だ。科学的な成功法則じゃなくて、間違わないための考え方を示した読みもの。

その前提で読むと、とても面白い。「やり遂げる力(グリット)」のところなんて、グリットがあるかないかは学歴でわかるという日本の成功者たちに、アホかと感じた私の考え方にもフィットしてた。

 

 

第3章「勝者は決して諦めず、切り替えの早いものは勝てないのか?」で書いているのはグリットのこと。

〝世界一過酷な軍隊シールズは『グリット』で乗り切れるのか〟なんてことが書いてあって、シリアスな話なんだけど、私はニヤニヤだった。『グリット』のノーベル賞級と言われる著者やグリットの信奉者は、『残酷すぎる成功法則』をどう読むだろうか。

 

 自信があって思い込みの激しい人は、成功する確率が高いかもしれない。しかし成功者が言ってるからといって、正しいとは限らない。中野信子さんによるとサイコパスに「勝ち組にも多い」そうだし。

 

『残酷すぎる成功法則』の第5章にも「無能な者より自信過剰なものが危険をもたらす」という節があるぐらいだ。

 

ここまで自信過剰と自信があまりないことの双方を見てきた。自信過剰はあなたの気分を良くし、グリットを与えてくれ、他者に強い印象を残せる。しかし反面、傲慢になりやすく、人々から疎外され、自己を改善できず、また現実を見ないためにすべてを失うかもしれない。一方、自信が不足気味な方が、道を究めるのに必要な意欲と手段を得られ、人々から好感を持たれる。だが気分は沈みがちで、他者から能力を低く見られるようなシグナルを送ってしまいがちだ。

 

と書いている。まったく賛成だ。

人間はバランスでしょう。バランスが取れてこそ健全なのに、社会的にいったん成功するとすべてに傲慢になりがちだ。逆に沈みすぎると、強いものにすがりがちだ。

 

そしてこの第5章に柳龍拳が「間違った自信の大きすぎる代償」として取り上げられている。私は電車の中で読みながら、声を上げそうになった。 なんでアメリカ人が柳龍拳を知っているんだと。

 

 

『残酷すぎる成功法則』に登場する柳龍拳氏と武道の妄想性

柳龍拳氏の名前は、どれぐらい知られているだろうか。私も衝撃的な試合前まで知りませんでした。

ウィキペディアには<合気道家、気功師、霊能者。「大東塾武道」総裁>と書いてある。合気道といっても、一般的に言われる合気道ではなく「柳によれば大東流合気道は、武田惣角を中興の祖とする大東流合気柔術や、植芝盛平を開祖とする合気道とは発祥が異なり、武田信玄の家臣(影武者)であった大東久之助の直系武術だとされる」だそうです。

まあ、こういう人です。

 

合気技を見事にやっているんですが、だんだん不思議になってきます。

 

私は合気道をどれぐらいだろう。複数やっていた時期があるので延べでいうと20年ぐらいやっています。こういう触れない技を見たことがあるかというと、何度かあります。見ていられないので、下を向いて笑っている顔を見せないようにします(笑)

私自身は養神館という合気道の流派で、摩訶不思議な技はありません。触れない技を行う人はいません。どんなに上級の師範でもいません。

ところが他流の師範には、そこそこいらっしゃいます。

えーっと、インチキだと思います(笑)  

 

インチキだと思うのは、信頼する弟子にしかやられないから。もちろん合気道は対立したり、対決したりするものではないので、挑戦的な人を相手にする必要はありません。でももし挑まれたら、どうするでしょうか。

 

触れずに投げる技が誰にでも効くと思っていれば、相手にするかもしれません。少なくとも柳龍拳さんは通用すると思っているので、なんと対戦相手を募集したのです。

ウィキペディアには「多くの他流試合を経験し、200人以上と試合をするも完全無敗で現在に至っていると主張、ウェブサイトでも対戦者を募っていたが、公には後述する一試合のみが知られている」と書かれています。

その試合がこちらです。

ああもう11年も前なんですね。

対戦相手の総合格闘家・岩倉豪氏は、この対戦のあと、さまざまなさまざまなメディアに登場されている。

合気武道家・ 柳龍拳との試合の絡みで、故塩田剛三先生に挑戦したときのことを語られている。塩田剛三先生は私がやっている養神館を作られた方だ。

 

僕も最初は“合気道なんぼのもんじゃい”みたいな気持ちで、グローブはめて、完全に殴り込みの気分でやりましたもん(笑)。でも舐めてたら、恐ろしい目に遭わされました

 

投げられて左肩外されたんですよ。問答無用で殴りかかったんですけど、その突進する勢いを利用されて、一瞬でとばされました。そのまま受け身の取れない角度でおとされたんです。アレは自分の身で確かめましたから言えますね。超能力とかじゃないし、弟子が師匠に遠慮して飛ぶのでもない。本当の技術ですね。たぶん、あのとき僕の首を折ろうと思えば折れたんじゃないですか?

齢70歳の“生きる伝説”が、無名の格闘技オタクに植え付けたもの

 

合気道にもいろいろな流派がある。養神館は実戦性を持っていると言われるが、それでも塩田剛三先生の直弟子の師範の先生方が、今はもう…とおっしゃる。

かつては演武で受けを何度も救急車で病院送りにしていた先生が、今ではもうかなり優しいのだ。たぶんこの十年ぐらいで大きく変化した。そんなことをしていたら、誰も残らないというのだ。

私の先生も同じことをおっしゃる。君だって、残っていないだろうと。ええ、そりゃ武道に命かけてませんし(笑)  ストレートにそんな返事はしていないが、仕事とか家庭とか、そんな話でごまかしたと思う。

 

養神館の先生方、そして長年やっている人たちは、他流に比べて、まだ自分たちのやっていることの限界を知っている。少なくとも怖さを知っていて、自信満々じゃない。だから圧倒的な体格差のある相手にはどうするかとか、技が掛からなかった場合の次の展開とか、当身の方法とか、普段の稽古にはないことを教えられたり、やっている場合が多いと思う。

ところが他の合気道では、漠然と有段者は強い。師範は強いと思っている人が多そうだ。というか、そういうことをいう人は少なからずいる。

 

ただそんなのは、どんなに実戦的だと言われる武道や格闘技でも同じだ。

私は昔々の部下から、久しぶりに会った銀座の喫茶店で、今ここで殴りかかったらどうしますかと聞かれて「蹴るよ」「このスプーンで刺すよ」と答えた。ボクササイズをやってるぐらいで、アホかと思った(笑)

突然襲われたら、自分のできることをすべてを出すのが当たり前なのに、道場やジム内でのルールがあらゆる場面で適用される、通用する、みたいな妄想を持っている人は多い。

 

 

『残酷すぎる成功法則』は柳龍拳氏の何が間違っていたと書いているか

柳龍拳氏も弟子相手に道場でやっていることが、どこでも通用すると妄想したんだろうか。

私がインチキかどうかを判断するシンプルな方法は、他と交流するかどうかだ。交流していても、他の流派や他の武道の人に手を取らせることをしないなら、間違いなくインチキだ。

閉鎖的にしていれば、インチキはバレない。バレにくい。閉鎖的なメンバー内でやっているなら、嘘だって妄想だって共有できる。柳龍拳氏は対戦を公募したのだから、本人は本当に触れずに飛ばせると信じていたのは間違いない。

そのあたり『残酷すぎる成功法則』がどう書いているのか、抜粋してみます。

 

自身の脅威の能力を証明するために、柳は総合格闘家、岩倉豪からの挑戦を受けた。勝者には五〇〇〇ドルが支払われることになった。ついに気功によって人を倒す力を正確に試す機会が訪れた。レフリーが両者の間に立ち、試合開始を告げた。柳は手を上げて、敵に向かって気を集中させたー。

とその瞬間、岩倉が柳を激しく殴った。

勝負は1分足らずで決した。懐疑的だったあなたは正しい。自分の能力に対する極端な自信は強力な力になる。しかし、物理学、生理学の法則を曲げるほどの力にはならない。

 

しかし柳龍拳がいんちきなら、どうしてわざわざ対決を受けたのだろう? 尻を蹴られ、五〇〇〇ドルを失い、インターネットで無数の人に見られて恥ずかしい思いをしてまで?

 

作家で神経科学者のサム・ハリスこう言う。

柳龍拳の間違った思い込みがどのような経緯で生じたのかはわからないが、一たび誰もがこぞって転び出すと、彼の妄想がどのように維持されたかは容易に想像できる。柳の視点に立って想像してみよう。もしかしたら自分は、少し離れた敵を倒すことができるのではないかと考えていたとする。すると弟子たちが見計らったように揃って倒れるようになり、それが何年も続き、自分は本当にそうした能力があるのだと信じ始めたのかもしれない。

 

ああ、たぶんこの解釈が正しそうだ。柳龍拳氏にもともと妄想癖があったとしても、挑戦者を募集するまでになったのは、弟子たちと形成した共同幻想の世界に生きていたからかもしれない。弟子たちの忖度ぶりだって、かなり問題だ。

著者はこう続けている。

 

こうした経験をするのは武道家に限らない。企業経営者にもよく見られる。そしておそらくあなたにも。自信は、能力を向上させ、成功を引き寄せる。また、他者にあなたを信用させる。

 

人は誰でも多かれ少なかれ錯覚をしている(我が子は人並み以上に思えるし、運転の下手な人の多くはそのことを認めない)。だが、一定の閾値を超えたときに、問題が生じる。

 

 

成功よりバランスを取りたいならこの本でいい

私もまったく同感だ。

この本の感想のまとめとしては、『残酷すぎる成功法則』に科学的なエビデンスは、ほぼない。どころか常識的に冷静に考えていけば、導き出せる答えばかり。でもそれに至る納得度の高く、面白いストーリーを探し出してきてる。

 

 

だけど成功ってなんだろう。金持ちになりたいとか名声を得たいのなら別だけど、何より病まずにバランスの取れた生き方を目指したいなら、私はこちらの本をお薦めする。

今の世界、特に成功論に決定的に欠けてるのは「離見の見」だわ。

 

風姿花伝・花鏡 / 世阿弥