アフリカの爆弾
昨日の朝は、北朝鮮がミサイル発射という速報が流れたので、出かける支度をしながら、なんどもテレビを見てた。
アメリカも韓国も「発射した」と言ってるのに、日本の政府は何も公表しない。やっと8時を過ぎて「確認していない」という報道。どんなギャグだよと思いながら、家を出た。
通勤電車の中では、あちこちでスマホを見てる人がいるけど、なんかゲームしてたり、ツイッターらしきものを見てるだけみたい。ああ、みんな興味ないんだな。私も興味ないけど(笑)
このところ、ずっと国の対応は、まるで戦争するのかってぐらいのもんだったんじゃない。石垣島にPAC3を配備して、ミサイルを迎撃すると言ってたのはまだしも、市ヶ谷の防衛省の屋上や、埼玉千葉の自衛隊施設にまで配備してたんだから。PAC3でどれだけ迎撃出来るのかしらないけど、発射したか、しないかもすぐに把握出来なくて、何に備えてるんだろう。
Jアラートも、何にも使われなかったそうだし。アラートって名前は、どれだけギャグだよと。
今日になって、いろんな報道で、責任のなすりつけあい。ダブルチェックに手間取ってたというのが出てきたけど、もう冗談みたいな仕組みと責任がどこにもない仕組みになってるのよね。3年前のミサイル発射の誤報がどうのこうのと言ってるけど、役に立たない仕事と装備にバカみたいに金をかけてるだけだわ。
3.11直後もSPEEDIの情報を出さなかったのは、国民がパニックになるからとかなんとか。まったくSPEEDIという名称は、どれだけブラックジョークなんだよと思ったけど、それとまったく一緒。
あの時も、霞が関では田舎のある人は、家族を疎開させるようにという通達が出たとか、ただちに問題はないと言ってる枝野さんは家族を九州に疎開させてるとかいう話が本当なら、膨大な仕組みは、ごく一部の人たちのために使われてるのね。
国民はバカだから、判断が出来ない。判断するのは、我々だ。っていうその我々は、いったい誰? 北朝鮮のミサイルへの対応を見ても、自公政権も、民主党政権も大差なかった。
たぶん誰じゃなくて、国民全体が終わってるんだろうなという気がする。緊急時もダメ。年金みたいな長期のものもダメ。そりゃあ税金で食べてたり、依存してる人が多ければ、責任を持つ人はいなくなって当たり前かもしれない。
もちろん依存させる仕組みを政治と行政が作ってきた責任は大きいけど、依存症は今も拡大してる気がするな。
昔、筒井康隆の『アフリカの爆弾』という小説があった。アフリカの原住民に核ミサイルを持たせてしまったらという風刺的なスラップスティックだけど。山上たつひこがマンガにして、このドタバタさ加減も面白かったんだけど。
核がどういうものだか知識がないけど、オソロシイもので、相手が恐がるということは分かってる。「原住民」は、使い方を知らない。じゃあ「核保有国」は知ってるのかという風刺だったと思う。
北朝鮮が『アフリカの爆弾』級かもしれないけど、日本は間違いなく『アフリカの爆弾』クラス。「事実は小説よりも奇なり」じゃなくて、「事実はマンガよりもスラップスティックなり」とか、そんなぐらいなのかもね。
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今日のBGM-140【 Immigrant Song - Karen O with Trent Reznor and Atticus Ross 】
レッド・ツェッペリンの「移民の歌」を、『ドラゴン・タトゥーの女』のサントラのためにNINのメンバーがカバーしたそう。あんまり新解釈でもないけど、かなりいいじゃん。
もう移民じゃなくて、自分から棄民しなきゃいけないのかもね。それにしても、映像が不気味。書いてる内容からすると、このPVはダーク・オルタネイティブ過ぎかもね(笑)