あったかもしれない日本、あるかもしれない東京
年末だし、今年読んだ本でいいものを紹介しようかと考えてたら、今年読んだのは仕事関連の本ばっかり。紹介しても意味ないっていうことより、こんなに現実的な価値のある本ばっかり読んでたらバカになるわ、私。
とちょっと反省してたら、あ、面白い本があると。それが『あったかもしれない日本』だ。年末にはいらない本、面白いと思いながらも読み返していない本をブックオフに売りに行く私だけど、この本は10年ぐらい生き残ってる。
いったい誰が人工的な風景を構想し、実現させているんだろう
いま私たちが見ている風景は、構想が現実化した建築物や都市プラン。でもイマジネーションの中だけで構築されて現実化しなかった「可能性としてはありえた都市」だってある。
2020年の東京オリンピックに向け、レガシーになる恒久的施設と臨時の施設みたいな区分けがあるけれども、1964年の東京オリンピックで建設されて、いまもその競技の発展に寄与している施設なんてあるんだろうか。
代々木体育館はたぶんスポーツに使われるより、イベントやコンサートに使われる方が多いんじゃないだろうか。日本武道館はオリンピック柔道競技のため、長期的には日本の伝統武道振興普及のために造られたという。
だけど、いろんな武道をやっている私でさえ、武道のことで日本武道館に行ったことはない。ライブにしか行ったことがない。
オリンピック競技になれば、そのスポーツは盛んになるけれども、立派な施設があるから競技が振興されるわけじゃない。それなのに競技を統括する団体はなぜレガシー施設にと必死になるのか。
サッカーが全国的に盛んなのは、東京周辺に中心的な施設があるからじゃない。横浜国際総合競技場はそもそも陸上と球技のための施設だ。ネーミングライツで日産スタジアムになってからのイメージが強いだけで。
利権なのかな。利権があるとしても、どうやって構想が生まれ、どうやって現実化するんだろう。
舛添前都知事は、虎ノ門を日本のシャンゼリゼ通りにすると言った。私はアホなんちゃうのと思ってたんだけど、たぶんシャンゼリゼ通りにするというキャッチコピーは、もう使われないだろう。あるのは虎ノ門ヒルズとオリンピック用の新虎ノ門通りを中心とする大規模再開発だけだ。
森ビルがやっているのは、六本木ヒルズや表参道ヒルズを見ても、文化じゃなく、大規模な中心を造って圧倒することだけだと思う。ましてや虎ノ門や新橋エリアは〈仕事〉のにおいしかしない。
が、予想を上回る規模の施設や道路、インフラができれば、人の流れは大きく変わる。
知事や政府や行政が、開発や再開発を構想し、実現化しているというのは当然あるだろうけど、はたしてアイデアを持っているんだろうか。舛添さんがシャンゼリゼと言ったのは、たぶん再開発計画を見て、文化のにおいがしないから、付け加えたんだろう。
官庁や大手企業のビルが立ち並ぶ大手町の一角は、まったく色がない。寒風吹き荒む冬に見ると、私はゾッとしてしまう。人は地下で移動していて、地上は極端に少ない。
日本の政治経済の中心地はそんな感じだ。虎ノ門だって、そうなる可能性は十分にある。
東京は魅力的だと思うけど、でも誰かがビジョンとか超人的な構想力で造ってきたわけじゃない。むしろ様々な欲望を人々が魅力があるかないかで淘汰したり、形作ってきたように思う。
ありえたかもしれない現在・未来への分岐
本書『あったかもしれない日本』には、実現しなかったプランばかりが出てくる。サブタイトルは「幻の都市建築史」だ。
建築史という言葉にはちょっと違和感があって、もっとスケールの大きいプロジェクトだ。目に見えるのは建築物でも、実現するかしないかで現実への影響ははかりしれない。
前書きに出てくる弾丸列車。戦時体制下で大陸からの軍需物資を安定して輸送するルートを確保するため、対馬を経て朝鮮半島に至る空前の長大海底トンネルを建設し、東京を起点とした鉄路をつくるというのだ。
まるで今年ロシアから提案されたシベリア鉄道を延伸して、北海道までつなぐ。樺太から北海道・稚内間の宗谷海峡に橋または海底トンネルを建設するプランみたいだ。
そんなの無理でしょ、と思ってしまうけど、同じような夢というか妄想はあちこちで共有されてるみたい。
ちなみに弾丸列車は、戦後、新幹線として復活したという。新幹線に形を変えて、復活してたわけね。びっくり。
東海道新幹線/山陽新幹線に海底トンネルをプラスして、朝鮮半島までつながっていたら、今の日本の姿はどうなってたんだろう。韓国との関係は、どうなってただろう。
弾丸列車が新幹線になったのなら、あながち妄想だとか言ってられない。
本書に取り上げられているのは、壮大なものばかりじゃないし、掲載されているもの以外にも、消えたビックプロジェクトだっていくらでもあるだろう。
本書は下記の5つの章からなっている。
- 近代化への情熱(官庁街のバロック、復興のモニュメント、夢の琵琶湖大運河)
- 郊外の発見―アメリカナイゼーション事始(大師河原のスタジアム―職業野球余話、甲子園異聞、埋め立て地の航空港、『健康』の呪縛)
- 祝祭の帝都(幻の万国博覧会、幻のオリンピック、海に臨む市庁舎)
- 大東亜のデザイン(新様式のビジョン、聖地の詩 、南方都市、慰霊のかたち)
- 歴史に書かれない戦後(復興の理想、民主国家と建築、伝統と創造、未来都市のコア
今と変わんないじゃんと思ったのは「幻のオリンピック」。
昭和5年、東京市長が皇紀2600年の記念事業にふさわしいイベントを模索し、東京オリンピック開催が提案された。そして東京は、ベルリンで開催されていたIOCの総会で、次期開催都市の権利を勝ち取った。
オリンピックの新金儲けプランも面白いが、会場構想で迷走する競技場建設地、その中でも組織委員会と内務省のドタバタを読んでいると、昭和初期からなんにも進歩していないんだなと思う。
そして日中戦争勃発。昭和十三年七月、東京オリンピック開催の返上が閣議決定される。
その後も工事が継続された戸田のボートコースを例外として、世界最大級とうたわれたメインスタジアムのほか、各地に建設される予定であった施設群は資材統制の影響を受けて、すべて幻となってしまう。
歴史は、まんま繰り返すのか、ちょっとずつ変化しながら繰り返しているのか。
昭和三十九年には東京オリンピックが開催されたわけだけど、人間の欲望とか夢とか、それも共有される共同幻想みたいなものは、どうも似通ってませんか。
久々に『あったかもしれない日本』を読み返していたら、まるで『帝都物語』みたいだなと、ふと思った。帝都物語は、現実にあっただろうという史実とその背景には荒俣さんの妄想力が絡みつく。
現実化した帝都の背面には、構想だけで消えた人々の怨念がぎっしりと張り付いてると。
弾丸列車といい、オリンピックのゴタゴタといい、消えた建築物の背景には大勢の人の思念が絡みついてるから、似たような構想が再浮上するのかもね。
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