電話ってなくならないの? と聞くのはテレビっていつまであるの? と同じことかも
先日、様々な年齢層や職業で構成される飲み会があった。
そこで「今の高校生は、テレビは最初から始まらないからキライだという。みたいな話があるけど、その感覚わかります?」という人がいた。
私は「わかりますよ。見たいものは録画して見るから。朝はテレビつけますけど、それは出かける用意しながら時間を知りたい。昨日今日の話題も知りたいみたいなことで。なんとなくつけるなら、なんとなくツイッター見てる方がまだいいし(笑) 地上波はどんどん見なくなってます」
女子大生Aは「テレビ見ないです。Amazonプライムの無料期間過ぎちゃって課金されながら見てますけど、iPhoneで見るし」
女子大生Bは「テレビ見ないです。HuluをiPhoneで見るぐらいです」
それ以外の人たちは、「テレビは最初から始まらないからキライだ」にピンときていなかったのです。
ということは、このブログを読んでいるあなたも、ピンときていない?
テレビを見るか見ないかという問いのあいまいさ、無意味さ
テレビとかモニターとかスマホっていう映像再生装置のことじゃなくて、地上波とかBSやCSという種類の話じゃなくて、スケジュールに沿って流れている放送はヤダってことなんです。
私はビデオデッキとかHDレコーダーとかで、ずっと前からテレビ放送をリアルタイムで見ることは激減した。再生をテレビで見ているってことで。
女子大生たちは、テレビというデバイスすら必要としていない。時間も場所も自由なオンデマンドで、スマホで見ているってことで。
その他大多数の人たちは、テレビ放送をテレビで、リアルタイムで見ているから、実感としてピンとこない。
そう思ってたら、ちょっと違った。テレビを見る人は、かなり減っている。減っているんだけど、見るときはリアルタイムで見るって人が、若者以外では多いみたい。やはり若ければ若いほど、テレビを見ない。
これって、ずっと以前から「放送と通信の融合」とかいうテーマで語られていましたが、今の10代が大人になる頃には、「放送っていったい何?」という事態になっているかもしれません。
いまでも私たちが見たいのはコンテンツであって、参考になるのはその評判。毎回見ると決めている放送ものは、とりあえず録画しておけばいい。時間に縛られる意味は、ほぼない。
番宣も含めて、宣伝で見せられるものはお金による洗脳みたいなもの。一方的なら、スキップしたい。でもリアルタイムで見てたら、飛ばせないから鬱陶しいし、時間がもったいない。
評判がそれなりに欲しいのは、決めていないもの。誰かがSNSで、これスゴイよ面白いよと言っている投稿にふれて、じゃあ見てみようか。となったときに、最初から見ることができなければ、もういいやとなりかねない。
たぶん若い層を中心に、今ここ。ぐらいかも。
と、おっさんの私は思います(笑)
たとえば毎回見るものに、関ジャムという番組があります。音楽番組としてスゲーわと思っていて、日曜日の深夜でまず放送時に見ることができますが、一応録画してます。日曜の夜だって、いろいろやることがある。
録画していても、ゲストがいらないやと思えば、どんどん消していく。で、こういうことも起こる。これは知らせておいた方がいいぞ。ゲスなやつとしか思ってなかったけど、才能はすごいわとツイートしました。
関ジャム、総集編でそれはそれで面白かったけど、今までゲストによっては見てなかった。ゲスの極み乙女にまったく興味なかったけど、これを見てワナワナと。お題もらって7分で歌詞完成。30分で完全に完成。川谷って人は天才だわ。他のメンバーもすごい #関ジャム pic.twitter.com/MIAVgAFs8b
— 不透明なチカラ (@f_chikara) 2017年10月15日
いろいろやることがある、の中身は、あ、ブログ書いてないや、とかですけど(笑) 他にも風呂入ろうとかストレッチしようとか。
でもこれって、たかがテレビ。テレビのタイムテーブルに合わせて行動するか、自分の都合で取捨選択をするか。
電話はもうオワコンなのか、まだまだ先か
テレビと同じようなニュアンスで、テレビの仕事をしている人から「じゃあ電話って、どう? ホリエモンは電話してくる奴とは仕事しないと言ってるけど」と私が聞かれました。
私は「わかるわかる。私もホリエモンとかなり近い感覚ですよ。珍しく(笑)」と答えました。
仕事で電話してくる人には、まず内容をまとめてから電話してこいよ、と思う。ホリエモンの言うように、相手の時間を奪ってることを考えてない。
どんなに丁寧な喋り方でも、相談とか言いながら、自分がほぼ考えないで、こちらに丸投げすることで仕事したような気になってる。
それがクライアントなら、いいんじゃない。金出してるんだからという意見もあるけれども、そうだろうか。企画料とか、出すんならまだしもね。その仕事に関してど素人だから、何も考えられない。思考まで丸投げしてくる。丸投げした上で、いいとか悪いとかジャッジして、仕事した気になってる。
仕事の能力がどうのという以上に、人間としてどうなんだよと。
いきなり電話してきて、こちらのその時にやっている作業とか思考とかを中断させて、自分の課題を考えさせる。
複雑な用件なら、こちらはメモを取らなきゃいけない。電話してる最中に、検索して調べることもある。
少しでもまとまってるなら、概要とか目的とか、フラッシュアイデア見たいなこと、そして参考になる事例が載ってるURLみたいなことをメールしてくる。
メールなら、こちらはざっと読んで、スケジュールとか内容や予算から、取り掛かる優先順位を決めて、今は何も考えないということだってできる。
仕事には高速化が求め続けられているのに、電話はそれを止める
電話は絶対ダメだとは言わない。緊急な連絡とかは別。
でも電話してくる人は、責任までこちらに押し付けたい。証拠を残したくないをいうニュアンスも、少なからずある。
間違っちゃいけない要件を電話で伝えられて、間違ったら「聞き間違いだ」とも言える。センシティブなものとか、弁護士とかに相談するほどでもないけど法解釈が難しいとか、あるいはネットで炎上する可能性があるものなら、なおさらだ。
みたいなことを、しゃべった。その場には電話するのが好きな人もいただろうけど、そんなリスクなんて知ったこっちゃない。それぐらい、仕事では電話が嫌いだし、電話してくる人が嫌いだ。
それは固定電話とか、ケータイとかってこととは関係ない。
慣れとは、つまり雑談で使うかどうかってこと
電話でどうのこうのって言ってるのは、中高年。いったい何年前だったか、新卒で入ったばかりの人が電話の応対にアワアワ言ってたから、後からどうしたんだと聞いてみたら、電話で難しい話だと軽いパニックになる。慣れていないからだと言ったので、驚いた。
でも考えてみたら、家に電話してうちの子が出ると、なんだよというぐらいぶっきらぼうな感じだった。メールだと、速攻で返してくるし、こんなの返さなくていいよと思うぐらい過剰に返信してくる。あれと同じだな。要するに慣れの問題だ。
慣れとは、言い換えれば雑談するほど使っているかどうかだ。雑談はツイッターやチャットに移った。
LINEで通話している人が、どれぐらいいる?
昔々、家の固定電話が特別だった時代は、かしこまって電話する人が多かった。そして思春期に長電話したり、ラジオ番組に電話したりするような時代になってからは、通話料金以外はカジュアルな存在になった。
ケータイが普及してキャリアメールが当たり前のものになってからは、どんどん通話が減っていたはずだ。
LINEとかは無料通話アプリと括られるけど、通話している人はどれだけいるんだろう。
今の環境で電話が必要なのは、本人だと特定できる共通のツールだということ。固定電話でもケータイでも、購入するにはかなりの本人確認が必要だ。
いやでも、それもクレジットカードの方が確実になりつつあるのかも。クレジットに加入するにも電話番号が必要だけど、通話する必要は、未払い時ぐらいかもしれない。
IPアドレスとかスマホのIDとか、あるいは生体認証とかに取って代わられる可能性はなくもない。
現在でも通話機能としての電話が必要なインフラとされているかどうかというと、とてもアヤシイんだから。
「お客さまのおかけになった電話番号は、現在使われておりません」
今日のBGM457【The Telephone Cal l- Tokyo kraftwerk】
砂原良徳さん(元電気グルーブ)の『The Telephone Call』は売られていないみたい。
原曲はもちろんクラフトワーク
Amazon - 3D/Kraftwerk CD,Boxset