不透明なチカラですが、なにか?

テーマはいろいろ。というか絞れません。2013年7月以前は他のブログサービスからインポートしたので、リンクや画像等がなくなってるかもしれません。

駅のトイレで「ご利用ありがとうございます」と言ってるのを聞いて、日本の生産性が上がるわけないじゃんと

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こないだ出勤時に駅のトイレに行ったら、清掃してる人が「ご利用ありがとうございます」と繰り返してた。

私はギョッとして、クラクラした。誰が言わせてるんだよ。

ターミナル駅だから、小便器だけで20以上はある。それ清掃しながら、いちいち顔上げて「ありがとうございます」なんて言ってたら、作業が捗るわけないじゃん。

 

「ご利用ありがとうございます」と言わせる経緯は、だいたい想像つくじゃん。

東京オリンピックを目前に訪日外国人観光客が増えている。日本伝統の「おもてなし」の精神を発揮して、気持ちよく使ってもらえる駅のトイレを目指そう。

とか会議で言い出した偉い人がいて、それはいいアイデアだ。「ご利用ありがとうございます」と言ってたら、丁寧に使ってくれて汚す人が少なくなるかもしれない。早速実施させようと、トイレ清掃なんかしたことのない本社のホワイトカラーたちが賛同した。やらせるのはタダだし。

みたいなね。

 

自分たちもトイレ清掃やってみればいいのにね。

清掃員は接客業かよ。

アパレルショップで買わずに出て行く人にも「ありがとうございます」と声かけするのは、買わなくても歓迎ですよ。気軽にまた来てくださいね。とまた来店してもらって、販売につながる機会を増やしたいからだ。

役所で住民票取ったって、「ご利用ありがとうございます」とは言わないでしょうよ。

 

 

日本の生産性の低さは過剰サービスが原因か?

 

こないだ難しい仕事をしてそうな銀行員の知り合いが「先進国の中で日本の労働生産性が最も低いというのは、それはサービス過剰だからですよね」と言って来た。

日本はもともとサービス過剰だ。モノだとオーバースペックというのもある。

「おもてなし」でそもそもサービス過剰というのもあるけど、さらにサービス合戦で競争してる。かつては富裕層向けのサービスだったのを、誰にだってやるようになっている。

単純に考えて、お金のもらえないサービスを過剰にしたら、労働生産性は落ちるのが当たり前。単純化していえば、一人当たりの労働生産性とは、人が働くことで得られる粗利みたいなことだ。

お金にならないサービスを増やせば、時間あたりの粗利は小さくなる。1日あたりの粗利を増やすためには、労働時間を増やすか、販売価格を値上げするしかない。

でもデフレ下の日本では、値下げすることが最大の販売促進策になっているから、値上げする勇気のある企業はとても少ないし、変わり種でしかない。

 

トイレを清掃しながら「おもてなし」するのは、会社からすればタダ。しかし清掃員は、今まで以上に高速で作業しないと終わらない。

じゃあさ、ペッパー置いとけよ。ペッパーに「キレイに使ってね」「ご利用ありがとうございます」と言わせる。確か月6万ぐらいだけど、外国人観光客はビックリするよ(笑)

 

供給側が自らサービス過剰にするのはあるけれども、それ以上に客の立場になると傍若無人、ブラック化する日本人は思いの外、多いよ。

 

 

下請け会社から搾り取る違法行為は野放し  

「サービス過剰だからですよね」と言って来た人に、私は「サービス過剰もあるけど、B to Bだと過剰な無料サービスを押し付けられていることも大きいんじゃない」と返事した。

今、それなりの規模の企業で出世している人たちは、その業界や業務の経験がない。あるいは過去に業務の経験があるけど、現状がどうなっているかは知らない人たちが多いんじゃないかという気がしている。

長くトイレ清掃していた人なら、清掃員に過大な負担は求めないだろう。人として。

やったことがなくて、会議室からだから好きな思いつきが言える。

 

やったことがない業務の素人たちだから、説明に時間がかかる。打ち合わせや会議が壮大な無駄。

その時間は、何の生産性もない。無料の無駄なサービス。

なぜ、そういう人たちが出世できているかというと、ヒドいことを平気で要求できるから? サイコパスだから?

 

ここ何年も日本企業は空前の好収益だという。上場企業は、ってことだけど、それが株高のひとつの要因でもある。

だけどその中身は、売上増加を伴わない「過去最高益」。そんなことはずっと言われている。

もちろん東京オリンピック関連需要に沸く建築土建業界や不動産業界は例外として。

 

元日銀委員も昨年出した本にはっきり書いている。

 

売上が増えていないのに、空前の好収益なのはコストカットをしているから。 

経費節減、人件費削減等、いわゆるリストラと言われているもの。これについては後述するけれども、無駄をカットしているというより、無駄はかなり残している。

さらには外注費の削減。この外注費の削減というのは、詐欺とか騙し討ちとか、恐喝まがいの圧迫とか、そんなのも多い。

 

仕事の受注前に契約書を交わす。それでも後から、追加要求が出てくる。私の経験上、女性の管理職に多いのは「それぐらい、いいでしょう。そんな厳密な契約なの?」というもの。それほど悪質ではないけど、オマケしろという「おもてなし要求」だ。

悪質なのは、悪質だと知っていて要求してくる男性管理職や経営陣。そんな人は昔からいるけど、仕事を降りられない途中段階で言ってくるのは交渉ではなく、ほとんど詐欺行為だ。

もちろん、追加要求には代金を支払えば問題はない。金は出さない。納期はずらさない。というのは、複数の下請法違反だ。

 

最近では、こんな裁判もあった。


IT業界では、よくあるもめごと。この裁判は規模が大きく、象徴的だ。

システム開発では契約をする前に、要件定義と発注金額を見合ったものして結ばれる。ところが発注者が要求内容を追加したり、変えたりすることは当たり前のようにある。

今回のケースがどうだったのかは知らないけど、追加料金を払わず納期は延ばせないという場合はざらにあるはずだ。

発注した旭川医大側に技術のわかるシステム担当者はいなかったんだろう。まったくの素人しかいなくても、競争入札にして競わせれば、安く収まる。丸投げして途中で注文を加えても、プロだから何とかするはず。

それが日本クオリティとかおもてなしの精神だと思ったのかもしれないけど、あまりに金額が大きいから、NTT東日本も裁判にしたんだろうと思う。

 

 

公正取引委員会が広告を出してる。それ、下請法違反ですと。

だけどどういう罰則があるのか。せいぜい勧告して、公正取引委員会のホームページに載せている。それでどれほどのダメージがあるかといえば、ないに等しい。

下請法勧告一覧(平成29年度)

 

ここを見ても、毎年のようにコンビニ運営会社が出ているけど、何のダメージもないでしょう。告発したのは、きっと取引を辞めた下請け企業。逆にいえば、取引している間は告発したところで何のメリットもない。

取引がなくなった後で告発するのは腹いせみたいなもので、具体的なメリットからじゃないだろう。

 

下請法違反をやっている多くの企業は、やったもん勝ち。空前の好収益を上げている企業で、違法なことをしていないのは少ないはずだ。

空前の好収益を誇っている企業は、高い労働生産性も誇っているはずだ。しかし下請け企業の労働生産性は、限りなく低下する。

 

下請けは、壮大な時間の無駄と単価の下落に見舞われる。働く人は、見合った給料をもらえないのは明らかだ。

日本の総和として、労働生産性が上がるわけがない。

  

さらにいえば、現在はこれより先の事態になっている。

 

 

派遣企業大国の闇は、深まる一方で後戻りできなさそうだ

 

派遣企業は、どんどん増えているという。人口に対しての派遣事業者数の割合は、日本がダントツに高いという話があるが、根拠のあるデータを私は見つけられなかった。

 

一般社団法人 日本人材派遣協会が公表している「世界の派遣市場」によれば、

 

2015年度の国別派遣売上高では、アメリカが1,163億ユーロで世界1位、続いてイギリスが434億ユーロ、日本が377億ユーロで世界3位の売上規模となりました。

とある。リンクさせるのは許可がいるみたいだから、興味ある人は自分で検索して見てください。

 

人口比で考えれば、日本の派遣業の売上規模は1位のアメリカと同等と言っていいんじゃないだろうか。

 

とにかく急成長を続ける派遣業界は、とっくに過当競争になっている。

「日本の人事部」によれば、派遣事業所数は2005年の31361所から、2014年の74609所と2倍以上になっている。

 

2006年第一次安倍内閣発足にあたり、竹中平蔵氏が「日本版オランダ革命」を提言した。私はこれで派遣が儲かると確実視して、人材サービスに無縁だった企業まで派遣事業に参入したことが、現在の過当競争につながっているんだろうと想像してる。


日本版オランダ革命とは「終身雇用、年功序列という雇用形態への偏重から訣別し、同一労働同一賃金の原則の確立」。雇用とは"企業は利益を実現することが本義であり、その実現の為に雇用が発生する"という派生需要である。日本の労働市場は制度の不公平から格差が生じているという。

 

文字通り読むと、その通りだよと思うけれども、竹中氏の狙いは、働く人を正規雇用から派遣にどんどん置き換えることにあったみたいだ。

それが狙いかどうか、事実、政治の力で自治体の民間委託は進んでいて、それを派遣会社が受けている。

 

ある法務局に行ったら、小さく「この業務はパソナが運営しています」と書いてあって、驚いたことがあった。ここにいる人は、みんなパソナの派遣なのと。

経費削減なら自社の印鑑証明とか謄本をとりたい人には、オンラインでやらせればいい。というか印鑑なんて、何で必要だよ。もはや証明にもならない印鑑証明で、金取ることもない。

もちろんオンラインでやれない人もいるだろうし、他人の土地登記を調べたい人もいるだろう。そういう人たちからは、今より高い金を取って場所と対人でのサービスを維持すればいい。

 

大きな無駄を残したまま、運営自体を人材派遣業に丸投げするとどういうことが起こるだろう。

公務員ならなおさらだろうけど、一般企業で働く人たちも、直接雇用ならアルバイトでもパートでも、残業できませんという日があってもおかしくない。そんなの当たり前だ。

だけど派遣会社に登録するときに「残業できない日もあります」と言ったらどうだろう。多分、派遣されない可能性が高い。あくまでも想像だけど。

 

今、多くの企業が業務請負や派遣による業務運営にシフトしていたりする。

一つの部門に派遣会社から20人30人も送り込んでいて、業務が成り立っていたりする。

こういう場合、派遣会社は「正規雇用と同じに働きます」「スキルは正規雇用以上です」「残業も同様にやれます」「それでいて総コストは直接雇用より安いです」「事業環境が変われば、すぐに増減できます」と売り込んで、同業他社と競っているだろう。「プレミアムフライデーとか働き方改革なんて関係ないですから」と。

 

正規雇用であれアルバイトやパートであれ、企業が直接雇用しないで派遣会社を使う理由は、景気変動や市場の変化、リーマンショックみたいな出来事に柔軟に対応できるからだ。つまりは解雇と補充が素早くできると。今は、それすら建前になりつつある。

 

派遣でやる人は、正規雇用と同じかそれ以上に働くのに、給与は安い。しかも文句も言えない。そうなっているんじゃないだろうか。

 

人件費が圧縮されて、派遣会社のマージンがあって、それで日本の人件費の総和はどうなるだろう。

もし派遣会社や人材紹介会社が間にいなければ、現在は労働人口減少で、人件費が上昇するという局面だ。派遣会社が過当競争で、派遣先企業獲得競争をしていたら、どんどん条件は悪くなる。

 

個々人の所得が低下し続ければ、つまり将来不安だけじゃなくて現実的に消費に回せるお金が減れば、デフレが解消するわけもなく、モノやサービスの価格はますます低下するだけだ。

そうすると、付加価値とか粗利が増えるわけもなく、日本の労働生産性は下がり続けるだけだと。これからの日本では、きっと労働しないことだけが労働生産性を増加させるのかもね。

 

 今日のBGM466【嘘をつく唇 feat.片平里菜/ TOKYO SKA PARADISE ORCHESTRA

 「その毒回った男が近づいて来ていたわ」だって(笑)

昭和感たっぷりの古くささがいい。

 

ジャケットの絵は江口寿史さんだしね。昭和歌謡(笑)

 

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オフィスカジュアルがコードだけど、ジーンズNGの会社は

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20代半ばの知り合いから、聞かれた。

なんでもセールのタイミングで渋谷に行って、セレクトショップを回ったんだけど、なにを買えばいいのか分からず、何も買わずに帰って来た。どこで何買えばいいんですかねと。

またかよ。

そいつは↓こいつなので、てっきりねえちゃんから言われる「モテ」のことだと思ってた。


「モテ」だと思ったのは私の早とちりで、会社で着るカジュアルを買いたいということだった。新卒で入ったときはスーツが標準。いまでも、顧客と会うときはスーツらしいけど、それ以外のときはオフィスカジュアルが奨励されるようになったんだそうだ。

 

ああ、そういう会社ね。そりゃあま、ビームスユナイテッドアローズやアーバンリサーチはダメだわ。もしかしたらシップスなら、まだあるかもしれないけど。

「それこそユニクロでいいじゃん。ユニクロとか無印なら、たぶん会社のコードも大丈夫だと思うよ」と私が言ったら、それがみんな似たような感じで、とにかくパンツの選択肢がない。ベージュとかカーキみたいなチノパンばっかり。

さすがにファッションに興味がない自分でも、どうかと思う。こんなんなら、紺のスーツの方がはるかに楽だわと。

 

「じゃあさ、ユニクロで黒のデニムとかは?」と私が言うと、ジーンズは何色だろうが禁止なんだそうだ。一見、ジーンズじゃないように印象でもNGなんだと。

出た。そういう会社か。

 

 

 

 

オフィスカジュアルがコードで、でもジーンズNG会社の風土

まあオフィスカジュアルだけど、ジーンズはNG。そんな会社はけっこうある。内勤職のアルバイトでも、ジーンズ禁止の会社は少なくない。

まあ、ルールを作った奴がアホ(笑) 

というか、カジュアルじゃなくて、オフィスカジュアルだからドレスコードがあって当たり前という人もいるけれども、そんなんだったらカジュアルなんてやめればいい。

 

本心では男性はスーツ、女性は制服にしたいんだけど、採用とかで頭のカタい会社だと思われるのがイヤだから、って会社がジーンズNGにするのよね。

つまりは自由でも自由裁量でもなんでもない。

 

そりゃね、ダメージありすぎで半裸みたいなジーンズはダメでしょうよ。だけどいわゆるパンツ、スラックスに近いようなジーンズなんて、いくらでもあるじゃない。

 

まず経営陣とか決めた人たちが、ファッションをまったく知らないどころか、知らなさすぎる。そしてジーンズは「労働者のもの」という階層意識。

バカみたいだけど、そんなやっかいな会社はいくらでもある。私からすれば、制服ガチガチの会社の方が、まだ正直でいいと思う。

 

 

カジュアルも通勤のジーンズもダメだと言っていたアメリカ人社長 

ある外資の取引先の課長が、社長に飲みの席で「オフィスカジュアルにしないんですか」と聞いときのこと。「アメリカではエグゼクティブは、みんなスーツです!」とキツく言われたと嘆いてた。

だいたい「俺らはエグゼクティブでもなんでもないのに(笑)」と。

いや、本当にそうだよ。エグゼクティブって、汗かくような仕事はしない人たちってことだからね。比喩じゃなく、汗ね。

 

しかもこの会社は女性社員に制服があるのに、通勤で、つまり出社時にジーンズNGだった。これって10年ぐらい前の話だったと思うけど、聞いたときは驚いた。

通勤時って、業務時間なの? たしかに通勤時、通勤経路で事故があれば労災が適用されるけど、それにしても。

 

要するに階層意識なのよね。本当に。

ところがこの社長、2年ほど前に社長室で会ったときはジーンズをはいてた。おいおいおいって感じで、驚いた。

さすがにもう時代遅れでしょうと。ジーンズが象徴してるんじゃないけど、この会社もリラックスして仕事しましょうよという感じになってきた。

 

ちなみにアメリカ人のエグゼクティブって、かなりの立場の人でもまるで制服のように、紺のスーツなのよね。ネクタイも似た感じだし。

悪いけど、個性もセンスもない人たち。

私が知る範囲だとね。エグゼクティブ階級の制服を着ているだけ。

 

 

スティーブ・ジョブズはセンスがあったのか?

起業家とかライフハック大好きな人たちが「着る服に悩むなんて無駄」と発言していることが、よくある。

無駄かどうかは別にして、どう見られているかを気にしない人たちなんだろうと思う。

 

スティーブ・ジョブズは新製品を発表するとき、いつも黒のタートルネックを着ていた。下はジーンズ。しかし、なんで大富豪なのに同じ服?

いやいやあのタートルはイッセイ・ミヤケに特注したもので、かなりこだわってる はず。じゃあ、おしゃれじゃん。いやユニホームでしょう。

 

 

もちろんAppleの製品を見れば、ジョブズがデザインにこだわりまくってるのは、よく分かる。引き算のデザインで、そこには日本的な美意識だって感じられる。

Appleは、プロダクトデザインでもイノベーションを起こした。

存命中のCMだって、ジョブズの卓越したセンスだったと思う。 

 

ただ、ジョブズは根がヒッピーだし、アーティストだったんだろうと私は思う。ジョブズがアタリ社に勤めていたとき、何週間も風呂に入らず、裸足で社内を歩き回っていたという。アーティストでそんなタイプの人は、けっこう多い。

異常な集中力。

 

さらにジョブズAppleで制服を作ろうとしていたという話もある。ところが、社内で大反対されて頓挫した。それなら自分が制服を着ようと考えて、黒いニットのタートルネックにしたという、真偽のわからない話もある。

だって普段、黒のタートルを着ていたわけじゃないしね。

 

どれだけスティーブ・ジョブズにセンスがあっても、それは生み出すプロダクトに対してのもの。洋服には、ほぼ無関心。

このへんが、ジョブズが黒いタートルネックを着ていたことを引きながら、着るものを考える時間なんて無駄という人たちとの大きな差だし、引用の嘘くさいところ。ジョブズは多くの人がうっとりするようなプロダクトデザインを生みだした。

引用する人たちの多くは、ダサさしかない? あんまり知らないけど(笑)

 

 

カジュアルとはゴルフウェアだと言ったファッション業界の社長

仕事で新卒採用の仕事をしていたとき、「カジュアルで来てください」と言われたときの対応を話し合っていたら、ある会社の社長が「ゴルフウェアにすればいい」と言ってると聞いて絶句した。

アパレルじゃないけど、ファッション業界大手の二代目だか三代目だかの社長がそう指示して来たと。

あんまり詳しくは書けないけど、実話だ。

 

そもそも応募者になんで「カジュアルで来てください」とか「私服で来てください」と言うのか。エグザイルな大学生が、普段着のエグザイルな格好で来たら、どうすんだよ。ロリータな女の子が、ロリータで来たら? オタファッションだったら?

センスを見るとか、TPOを踏まえているかを見るとかいうもっともらしい話があるけど、そんなのウソウソ。

 

だってね、ファッション企業の社長がゴルフウェアって言うんだよ。

その社長は、オフでは若いころからゴルフ三昧で、付き合ってるおっさんたちもゴルフファッションに命をかけてるんだろうけど、それが仲間なんだよ。

仲間に入れるかどうかは、普段着がゴルフウェアかどうか…

 

TPOを踏まえているかどうかなんて、今の時代、ほとんど通用しない。仲間かどうかってこと。

企業が採用で「私服で来てください」というときは、自分たちの村に入れて、馴染むかどうかを見てるんだわ。

 

だけどそんな村のルールと、TPOにどういう関係があるの? 尖った靴履いてトートバッグ持ってる営業マンが普通の業界もあるけど、そんなやつに重要な契約書類渡す? 紛失される心配しない? 

社長がピチピチのジャージ素材のパンツ履いて、足首見せてるのは、どういうマナーなんだよ。会社の役員紹介で腕組みした人たちが並んでるのは、巌流島にでも出場して戦うの?

ハレノヒの社長は「神様は光ったものが好き」だと、社員にジャラジャラとアクセサリーをつけさせようとしてたというけど…

 

村に入れるかどうかの判定のために、「カジュアルで来てください」とか「私服で来てください」という会社って、実は最低なんだわ。

自由でリラックスした雰囲気ですよといいながら、実際は真逆の狙いがある。ダイバーシティなんて言ってても、実際には画一化ってことよ。

 

 

つまりオフィスカジュアルは制服ってこと

自由さとか、個性やセンスを磨いてもらうためにオフィスカジュアルにしてるんじゃなくて、ほとんどの会社が「今どきの制服」としてカジュアルを採用してる。んでカジュアルって言葉がよく分かってないから、ジーンズはNGにしてる。

 

だからオフィスカジュアルのための服を買うなら、セレクトショップのセールに行くんじゃなくて、先輩とか末端の役職者に「会社に着て来られてる服は、どこで買われてるんですか?」と聞いて回るのが正解。

もちろん、「センスいいですね!」と最初に言ってから(笑)

 

先輩が「EXILE TRIBE STATION!!」と絶叫したら、迷わず中目黒に行くんだよ。「ユニクロ」と言われたら、ユニクロ+無印ぐらいでコーディネートしとくんだよ。

書いてて本当かよと自分でも思うけど、ジーンズNG村の掟はそんなもんだわ。

 

 


今日のBGM465【Justice - D.A.N.C.E.】

そうだ、ペイントすればいい(笑) 

 

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傑作!

 

大相撲に神事だなんだとタグ付けするのはヤメにしたらどうよ

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Niigata, Sumo Ring. Yahito-jinja Shrine, METI, CC BY 4.0 International

 

年末、ある公立のスポーツ施設に「月刊武道」が置いてあった。他はイベントのチラシとかばかりなので、手に取って読んでみた。

「月刊武道」って前から知ってるけど、誰が読むんだと思ってた。なんだろ、武道の古い古い歴史? 今の武道とはほぼ関係がない。

 

 

日本武道館でライブがあって終わって明るくなると、「月刊武道」の電飾が光る。なんだあれとさえ、思う人は少ないかもしれない。たぶん文部科学省から出た金で、日本武道館が編集しています。

パラパラとめくると、そこに相撲についての話が。相撲が「武道」になった経緯が書いてありました。正確に言葉まで憶えていませんが、「興行であった大相撲が戦争に向けての時勢で武道となった」「国技という根拠はない」という趣旨のことが書いてありました。

 

私はもうおかしくておかしくて。文部科学省日本武道館が武道武道と嘘くさい定義付けをしているのに、「月刊武道」にこんなこと書かれちゃうかと。まあ武道必修化で書いたこととリンクしています。


 

 

相撲はいつの時代に神事だったのか 

私は以前から相撲に日本古来のとか、神事としての側面とかいう言葉を見ると、なんだよそれと思う。最近は暴行問題でテレビで取り上げられるたび、「神事」という形容が必ずされる。

テレビ局がどういう意図なのか知らないけど、いちいち「神事」と繰り返しだしていれば、大相撲が特別なものだというコンセンサスができてしまう。いやもう、とっくに大相撲=神事が常識になってるかもしれない。

でも、いつ神事だったの?

 

日本書紀では、雄略天皇采女に褌をしめさせて相撲をとらせたという、いわゆる「女相撲」が、書物に出てくる相撲の記述の最古のもの。これが土俵は女人禁制としていた現代の大相撲とどうつながっているんだろう。

 

横綱の四股踏みは悪い地霊が出て来ないように踏みしめるものと言われたりしますが、悪い地霊とは、要するに土地の神なんじゃないかと。もう昔々に読んだ何冊もの本に、そんな記述が書いてあったように思います。

神様とは、強大なチカラを持っている存在で、いいも悪いもない。それを横綱が大地を四股で踏みしめることで、いわば脅している。そんな意味だったと思います。

太宰府天満宮だって、都の疫病の流行や飢饉などは菅原道真の祟りだと朝廷が恐れおののいて、供養のために建立したもの。決していい存在だから祀ろうと考えたわけじゃないよね。

 

家やビルを建てたりするときに行う地鎮祭は、いわば土地の神様によろしくねと挨拶して、ご機嫌をとっているようなもの。四股踏みとは、ちょっと意味合いが違います。

 

 

あの富岡八幡宮で、横綱が奉納演武するけれども

女性宮司が前宮司である弟に斬り殺された富岡八幡宮には、横綱力士碑があります。新横綱が誕生したときには、この碑に刻銘され、新横綱が土俵入りを奉納します。

大相撲に宗教的な意味をいうのであれば、歴代横綱の奉納演武が悪い地霊が出て来るのを抑えられなかった。もう抑えられなくなったとも言えますよね。

ああ、なんてイジワルな言い方(笑)

 

刻名式は日本相撲協会の行事

 

 

 

そもそも奉納演武って何かというと

私も奉納演武に出たことがありますが、要するに神様に見てもらうということです。すべての奉納演武がどうかとは言えませんが、通常はお祓いをしてもらい、玉串料を納めます。

だから、新横綱が土俵入りを奉納するから神事だと考えるのはどうか。これって、新横綱が「これからよろしくお願いいたします」と、神様に挨拶しに来ているだけでしょう。と思います。

 

それどころか奉納演武って、子供のピアノやバレエの発表会と同じようなもんなんじゃないのと私は考えています。江戸時代までだってそうだし、いまだって武道などの場合は発表する、人に見せる場がない。試合のあるものなら、試合を見せることはできるけれども、試合がなければ、奉納演武といえば、なにか権威とか重厚感がありげな感じがする。本質的には、それほど違いはないんじゃないかと。

 

そんなことは書くと、いや相撲は違う。神事相撲があるし、日本相撲協会が言うように収穫を占う宮廷行事となり300年続いているんじゃないのと反論がでてきそうだ。

神事相撲というのは、勝敗で五穀豊穣や子孫繁栄を占うもので、たぶん八百長。というより勝ち負けの決まっている儀式。こっちが勝ったら豊作で、こっちが勝ったら凶作となっている占いで、少なくとも縁起を重要視する日本人が、公開で真剣勝負をやりそうにはないよね。

それに今行われている神事相撲は、ほとんどが子供相撲で、大相撲とはほぼ無縁なんじゃないだろうか。

 

さらにいえば現在の大相撲の原型は、勧進相撲だ。

 

 

ウィキペディアによると大相撲の諸制度の原型は勧進相撲にあるらしい

Wikipediaには

「神社仏閣の建築修復の資金調達のための興行を勧進といったが、神社の祭礼に相撲が行われることが多かった(神事相撲)ことにあやかり、営利目的であるにもかかわらず「勧進相撲」と称して興行をすることが常態化した」 

勧進相撲の諸制度は大相撲に直接受け継がれており、特に江戸相撲のそれは後継組織である大相撲に多大に影響を与えている。 

文禄・慶長の頃(1600年前後)には上方では盛んに巡業が行われていた[2]。しかし慶安年間には浪人、侠客が出入りして始終喧嘩が絶えない事態になり、各地で勧進相撲は禁止された。江戸幕府は慶安元年(1648年)に「風紀を乱す」という理由で勧進相撲禁止令を出している。その後数十年を経て徐々に解禁されるようになったが、例えば京都相撲は暫くの間は文字通りの「勧進」相撲として興行し、江戸相撲は街中での興行(辻相撲)を禁じられて寺社の境内などで興行を行うようになった(同時に、興行の届け出先が町奉行から寺社奉行に移動した)。

 

などと書かれている。

実際、大相撲の制度のことまでは分からないけれども、勧進相撲と称したのは納得感がある。単純に興行となれば、力較べでもなんでもなくなってしまう。

ちなみに女相撲も江戸中期に人気で、そして明治の中頃まで禁止されたり復活したりしたそうだ。

 

しかしそんなことよりも、ここで重要なのは、寺社の境内などで興行が行われていたこと。

テレビでは神事ということしか出て来ないけれども、お寺でも興行が行われていたとある。これがどういうことかというと、江戸時代までは「神仏習合」でお寺と神社の併設されていたのだから、神社でだけ、お寺でだけということがないのは当然だ。

横綱力士碑のある富岡八幡宮も、別当寺である永代寺を持っていた。別当寺は神社を管理する寺で、「神社はすなわち寺である」という存在だ。これは明治の神仏分離令まで続く。

 

相撲協会もそうだけど、メディアも含めて、古来の神事からの流れだけを強調し、仏教・お寺の影響を意図的に隠しているんだろうか。

知ってるけど、言わない。ということね。

 

 

大相撲が、どれほど神道的なのか

少なくとも古代の神道は、民俗信仰をベースとしたアニミズム的な八百万の神を畏れ敬い、祀るというもの。教義も教祖もいない。

 

江戸時代に、儒教や仏教などの影響を受ける前の神道を追求した古神道とされるものもあるけれども、いずれにせよ、現在の社殿のある神社神道とは大きく違う。

祭神は分霊(わけみたま)され、他の神社に無限に祭ることができる。祭っている神は、そこに常に存在しているわけではなく、マレビト。訪れる存在だから、分霊が可能。

家や会社に神棚があるのも、そういうこと。そこに神が訪れる。

 

よく参道は真ん中を歩いちゃいけないというけれども、あれは祭神が鳥居をくぐり、参道の真ん中を通って訪れるからだ。

 

横綱が締める注連縄(しめなわ)は、依り代なんだそうだ。

相撲の土俵には、相撲神(戸隠大神、鹿島大神、野見宿禰の三神)の依り代が作られる。本場所前日に「土俵祭り」が行われ、土俵中央に依り代となる白幣が建てられる。場所が始まると、その白幣は行事部屋と支度部屋の神棚に祀られるという。

あれ、相撲三神は、取り組み見ないの?

どうも見ないみたいよ。

 

実は吊り屋根になっている現在の大相撲の土俵。本来は、一番上の写真、彌彦神社の相撲場のように四本の柱のある屋根だった。その柱が依り代だったのよね。

1952年にテレビ放送の邪魔だということで、柱が切られたらしい。柱の代わりの依り代は屋根からぶら下がった房というように昔々なにかで読んだんだけど、どうも、相撲神の依り代は行事部屋と支度部屋の神棚に。房を依り代にしているのは、四方の神々なんだそうだ。

ふ〜ん。

だけど伝統とかなんとか言うなら、そんな風に変えちゃっていいんだろうか。

 

大相撲が神道の形式を多く取り入れているのは間違いないけど、その形式を変えちゃったらどうなるんだろう。

いやだって、所作、様式という形式だけでしょう? 様式美はあるけど、神道的な意味合いがどこにあるんだろうか。

 

今後新横綱が、奉納の土俵入りを明治神宮でだけやるようになったとしたら、どうよ。明治神宮明治天皇が祭神だし、場所的にも古来からの聖地でもなんでもない。代々木公園自体が旧陸軍施設だしね。

神道というより、人工的な国家神道。自然発生的に歴史の中から生まれた伝統の様式というより、人工的な形式の模倣?

 

 

相撲とプロレスや格闘技は、どう違う?

日馬富士の暴行事件で、マスメディアも世間の関心も高い。私はなんでこんな話が、毎日毎日取り上げられてるんだと不思議。

こんなことプロレス団体や、RIZINやK1の出場選手間でリングの外で起こったことがある? 起こったとしても周囲に選手たちがいたなら、止めるでしょう。

 

だって単純な刑事事件だよ。無抵抗の人間を、カラオケのマイクでガツガツ殴った。それを周囲にいた関取たちが、止めたのかどうしたかの道義上の問題。

日本相撲協会は、公益財団法人。公益になることだから、興行であっても非課税。プロレス団体や格闘技団体は、当然課税されてるけど、モラルは角界以上にありそうよ。

角界は、土俵以外で人が死んだり怪我したり、そんなことが定期的に起こってる。なのに、公益なの?

 

それもこれも神事だ伝統だと、メディアが率先して植え付けてるからって気がする。だから多くの人が聖なる領域で、特別な存在だからと思ってしまうんだろうか。

 

公益財団法人日本相撲協会を監督しているのは、文部科学省宗教法人を管轄しているのも文部科学省池坊保子日本相撲協会評議員会議長は、元文部科学副大臣で、公明党女性委員会副委員長。日本相撲協会が公益財団法人になるために、外部識者として選ばれた。

見えてるでしょうよ。

 

 

相撲に特別な意味を見出すんじゃなくて、具体的に伝統的な優れた技法や稽古法を取り上げるべきだわ

 お相撲さんの“腰割り”トレーニングに隠されたすごい秘密

 

昨日もしたけどソファで寝落ちするのが気持ちいいのはどうしてだ

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ソファで寝るのは危険。みたいな記事を見かけて、そんなにかと思って検索したら、ネット上では似たような主張ばかりだ。

首に負担がかかる。寝返りがうてず、カラダがリセットされないなどなど、デメリットが強調されてる。そりゃまあ今の季節なら風邪ひいちゃうとか、危険なことはあるけれども、私は昨日もソファで寝落ちした。

実はソファで寝落ちするほど、気持ちのいいことはないだろうと主張したいぐらいだ。気持ちいいから寝ちゃうんじゃないのと思ってるんだけど、私が特殊なんだろうか。

世の中、これだけソファで寝落ちするのはNGが連呼されているんだから、私ひとりぐらい「ソファの寝落ちは気持ちいい」論者がいたっていいんじゃない。

いや主張しておかないと、寝落ち族の快感が否定されてしまう。と、こんな記事を書くのは義務感からだ。いやウソです(笑)

 

 

寝るのは、もったいないと思ってる私

普段、私の睡眠時間は4時間半とか5時間ぐらいだ。それで十分カラダの疲れは解消されていて、6時間寝ることなんて平日にはまずない。

いつからそうなったかというと、20代からだ。帰ってくるのが遅いというのもあったけど、自分ひとりの時間になるのは夜中だけだ。奥さんはもう10時には必ずと言っていいほど寝ている健康的な人なので、10時からが自分の時間だ。

たぶん20代のころは、夜中にゲームばっかりしてた気がする。

今は録画した映画とか海外ドラマを見たいんだけど、さすがに平日はそんなことしてると翌日の仕事に差し支える。

そんな意識があるのか、ソファで寝落ちするのは金曜日の夜だけだ。そして年末年始とか、翌日を気にしなくていい時だけ。

録画したのを眠いと思いながら観ていると、いつの間にか寝ちゃってる。ただ寝落ちするといっても3時間とかそれぐらいなので、そこから夜中に風呂に入って寝る。布団の中で寝ているのは、6時間ぐらい。だからソファで寝て、睡眠に質が悪くたって、カバーはできている。つもり。

だらしないけど、今日も大掃除とか昼間はちゃんとやっているから、それほどだらしなくはない。つもり。

 

 

ベッドに入ったら、あっという間に寝てしまうんだけど 

そうやってソファで寝てしまうのは、どうしてこんなに気持ちいいんだろうと前々から思ってた。いや寝るつもりはないんだけど、ん!?と目がさめると「気持ち良かった」という記憶が毎回残ってる。

なんでだろう。寝る体勢としてもあんまり良くないはずなのに、気持ちいいという感覚が残ってるんだろうと、ずっと不思議だった。

 

最近、もしかしたらと思ったのは、もしかしたらベットに入って寝るのは、寝なきゃいけないという義務感があるのかも。それが寝るのがそれほど楽しいことじゃないという記憶になって、こびりついているのかもね、と考えた。

 

対してベッドに入って寝るのは、寝なきゃと思って寝るからいくら睡眠の質が良くても、記憶としてはソファの寝落ちより劣る。

 

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とはいえ私、ベッドに入ったら必ず本を読む。読んでいてどれだけ興味深くても、せいぜい5分。あっという間に睡魔に襲われて、スタンドを消して眠ってしまう。

あっという間のことなんだけど、そういうプロセスが自動的じゃなくて、意志が働いているのかもね。

 

ソファで寝落ちするのは、まったく義務感がない。観ている映画や海外ドラマは面白いんだけど、カラダが睡眠を求めているから寝てしまう。その方が自然なんじゃない。

自然かどうかはわからないけど、実は寝たいとき寝る生活をしたいんじゃないかと。

つまりは、どこでも寝たいときに寝る自由な猫に、憧れてるんじゃないかと(笑)

 

頻繁にソファで寝落ちするようになったはの、猫飼いだしてからだから、あながち妄想じゃないかもね。

 

 

今日のBGM464【黄昏を遊ぶ猫 / TOKYO SKA PARADISE ORCHESTRA】 

ゲストボーカルがEGO-WRAPPINの中納良恵さんって、スカパラにしては意外だけど、猫にはぴったり。

 

 

 

[#MeToo]を自分の宣伝に使う人がいたって、ぜんぜんいいんじゃないの

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はあちゅうさんが、過去の著名クリエーターから受けたセクハラ・パワハラについて告発して以降、はてな界隈では大変なことになっている。

私のブログを読んでくれてるような人は、はてなはてなブックマークにあんまり興味ないだろうし、はあちゅうさんの名前も知らないかもしれない。だから経緯をカンタンに書きながら、#metooムーブメント、そしてはあちゅう告発をめぐる騒ぎには、ちょっと抜け落ちてるんじゃないの、ちがう視点も必要なんじゃない。と私が感じていることも書かせてください。

 

どうもセクハラ・パワハラという言葉が軽すぎないか

12月17日にBuzzfeedにこんな告発

これを読むとセクハラ・パワハラとなっているけど、そういうレベルなんだろうか。長々と抜粋します。

 

「本社に異動した頃、岸さんから『今すぐ飲みの場所に来い。手ぶらで来るな。可愛い女も一緒に連れてこい。お前みたいな利用価値のない人間には人の紹介くらいしかやれることはない』などと言われるようになりました」

「深夜に『俺の家にこれから来い』とも言われました。当時、私は田町に住んでおり、彼の自宅は浜松町だったので、歩ける距離にありました。突然電話がかかってきて、どこで何をしていようと、寝ていても『今から来られないのか』と言われました。『寝ていました』と言うと、行かないでも許してくれることもありましたが、翌日、『お前はこの会社には向いていない。CDC(岸氏が所属していた部署)にきたら深夜対応も当たり前だぞ』と言われました」

「『俺に気に入られる絶好のチャンスなのに体も使えないわけ? その程度の覚悟でうちの会社入ったの? お前にそれだけの特技あるの? お前の特技が何か言ってみろ』と性的な関係を要求されました。『お前みたいな顔も体もタイプじゃない。胸がない、色気がない。俺のつきあってきた女に比べると、お前の顔面は著しく劣っているが、俺に気に入れられているだけで幸運だと思え』と」

岸氏からのハラスメントから逃れたいと思ったはあちゅうさんは、岸氏の要求通り数名の友人を紹介した。「お前どうしてあんなしょうもない女紹介するんだよ。自分が何のために俺と知り合ったかなんもわかってないじゃないか。俺の偉大さちゃんと説明したの?」などと言われたこともあったという。

Buzz Feed Newsから

 

この告発に対して岸氏は謝罪します。理不尽なことをし、嫌な思いをさせた、とても苦しめたことを、お詫びしたいと。

だけど「理不尽」とか「嫌な思い」程度のことなんだろうか。

Buzzfeedの記事を読んでいると、電通という会社は、新人や下にいる人たちを奴隷のように扱っていて、それが当然のように通用している文化があるんじゃないと思ってしまう。

Buzzfeedは他の電通社員にも取材して、こう書いている。

 

インターン担当を岸氏がやっている年があったのですが、ある女子大生のインターンが終わり、内定を受けたあと、岸氏から『家に来ないか?』と電話があったようです。入社前の学生はどこに配属されるか不安です。岸氏はそれなりの立場がある人物なので、彼がキャスティングボートを握っているのではないかと思ってしまうのも無理はないです」

これだけでなく、別の年にはカンヌライオンズに当時インターンの女子大生を連れて行き、問題になったという。

これらの岸氏の行動は、人事やハラスメントの関係部署でも知られていたようだ。

 

そりゃあ岸氏は、はあちゅうさん以外にもやってるでしょうよ。

これって、法解釈がどうであれ、犯罪行為じゃないのか。労働法は、こういうことを許しているわけ? そして電通は、どうして平気だったのか?

 

元TBSワシントン支局長が就職相談絡みで酒を飲み、性的暴行で訴えられ、準強姦容疑で逮捕状が出た。成田空港で逮捕寸前に警視庁の上層部からストップが出たという疑惑の事件。

直前で逮捕を止めた警視庁の刑事部長は「女も就職の世話をしてほしいという思惑があったから飲みに行ったのであって所詮男女の揉め事」だと答えたという。

「山口敬之」を救った刑事部長の出世 菅官房長官からの絶大な信頼

 

 

この逮捕中止に裏がないなら、はあちゅうさんの件ならなおのこと、警察では「出世させてほしいという思惑があったから自宅に行ったのであって所詮男女の揉め事」だとされてしまうだろう。 

 

 

電通には従軍慰安婦と揶揄されるような人たちがいた

確かに雇用がらみの事件は多い。

DeNA採用担当者が就活女子大生をホテルに連れ込み(文春砲) 

保育最大手のJP、重大セクハラで辞任の元社長が「復帰」画策…

 

この手の事件は日本だけじゃないけれども、日本ではどうも法的にも社会的にもペナルティが弱く、抑止力が弱いように思える。

どの事件も、まるでAVかエロ小説みたいなストーリー。もしかして雇う側になると、妄想が刺激されるのか。それとも社会全体に、雇われたら滅私奉公でセクシャルな領域も多少は含まれるというコンセンサスでもあるのか。

 

私は団塊の世代以上には、確実にあると思う。

会社では男性社員が雑務をする必要はないとして、現役時代をおくって来た人たちはなかなか「男はエラい」から抜け出せない。そして自治会や地域コミュニティなどでも酔ってセクハラをする人たちは、少なからずいる。

そしてこの人たちの脳内の「男はエラい」では、さらに「男は地位」でヒエラルキーが形成されている。現役ではないのに、一部上場企業の役員だったとか課長だったとか、そういうプライドが定年後も続いている。

たとえば役所で病院で、聞かれてもいないのに「◯◯会社の部長だった」という人が大勢いるという。自分は社会的に価値ある人だから、丁寧に対応しろとでもいうように。

もちろん爺さんたちは生命の危険があるから、性的な妄想はそれほど膨らまないかもしれない。

 

著名クリエーター岸氏が、はあちゅうさんに言っているは、まるでそういう爺さんたちと同じじゃないか?

オレは価値ある人間だから、オレの前に来たら服を脱いで股を開く女が何人もいて当たり前だ。オレのところに連れてこい。みたいなね。

 

というか妄想じゃなくて、電通には外部から従軍慰安婦と言われるようなボンキュボーンなおねえさんたちを揃えてたんです。従軍慰安婦という呼び方が一般的かどうか、適切かどうかはわからないけど、確かグループの派遣会社などから、いわゆるキレイどころ、それも色気過剰な女性たちを。

クライアントに書類を届けさせるとか、そういう雑務のために。クライアントも、そういうおねえさんが来ると喜ぶ。私はクライアント側も下請け側も経験しているので、知っています。

女性の側にも、エリート電通マンと結婚したいと狙ってる人は大勢いたでしょう。

 

でもそういう人も、経費削減でどーんといなくなった。

岸氏がはあちゅうさんに傍若無人なことをしていたのは、そういうおねえさんたちがいなくなった後のことなんじゃないかと。

 

 

女性蔑視の風潮に、女性も加担している

だけどそういう女性たちを揃えていたのは、電通ほど露骨じゃなくても、かつて大手企業はどこだってやっていたでしょう。大手企業で「花嫁候補」を採用した過去のないところがあるでしょうか。

電通と五十歩百歩みたいなもんです。

別に余力がある企業なら、そういう採用方針も勝手ですし、採用される側も学校も「花嫁候補」だと理解しているんだから問題はなかったのでしょう。

 

ところがそういう価値観は、花嫁候補採用がなくなってからも、ずーっと続いているのだと思います。今だって派遣やパート、アルバイトという期間限定の採用で、仕事そのもののスキルや適性ではなく、若さや容姿で選んでいるでしょう。

 

大手の有名企業で育って来た人たちは、そんな至れり尽くせりで生まれたプライドや価値観が変わるでしょうか。大手企業に入れたのは、有名大学に進学したから。有名大学に合格できたのは、一生懸命勉強したから。一生懸命勉強したのは…

そして会社のブランドが効いて結婚した人は、自分が頑張ってきたからだ。我慢してきたからだということが確信として染み付いています。

だから定年退職しても、自分の最後の役職を振りかざすのです。

 

 

 

というか、有名企業で出世した人と結婚した女性は、どんな人でしょうか。たまたま結婚した相手が出世したというケースもあるでしょうけど、そんなのごく少数派。

確実性の高い相手を選んでいるのだから、好きだの嫌いだの前に条件があります。その打算的なところを「賢い私」だと思っています。そして打算で動かない、好きだ嫌いだで動く女性を「バカな女」だと思っています。

実際の結婚相手獲得競争は、大学生のときから始まっています。一流大学のテニスや広告研究会など軽いクラブサークルには、周囲の女子大などから女子力の高い女子大生が大勢入ってきます。近年でも強姦事件が起こっていますし、男子大学生からすればヤルためのサークル。

 

他方で、女子力の高くない女子大生も、たとえば登山部とかマジ度の高いクラブに入ってきます。ターゲットは理工系で、異性慣れしていない男子大学生。これを落とせば、将来の浮気もしない堅実な夫を手に入れることができます。

こういう手堅い女性たちは、日本の保守本流。ミセスワタナベの正体は、こういう人たち。と私は思っています。この人たちは、見た目も行動も女子力の高い女性を敵視しています。

まあ、こういうのは私の偏見ですけど(笑)

 

いずれにせよ一流大学に入学して、クラブサークルにでも入れば、どんな醜男でもモテを経験するのです。

 

 

婚活と言われはじめた時代になってからのマッチングは、まず条件によるスクリーニングが最初にあるなら、かつての打算的な価値観による結婚と同じ流れになっていませんか? 打算臭さを消すために広告では「運命の出会い」だと強調します。

打算的な人は、自分以上に上手に立ち回る人を許せません。

まあ、こういうのも私の偏見ですけど(笑)

 

もっと極端なことを言うなら、権力者に気に入られてなんぼ、と思っている女性は世代に関係なく、かなり多いでしょう。

コスモポリタンの編集長を30年以上もつとめたヘレン・ガーリー・ブラウンが書いた女性向けの本には、記憶があいまいですが、「二本の脚の間にあるもののおかげで、上司が私に優しくしてくれる」みたいな記述があって、驚いたことがあります。

だけど男社会の中で、野心のある女性が女性性を使って出世したっていいんじゃないと読みながら思いました。もちろん自分が厭じゃないなら、ですが。

コスモポリタンの編集長は、読んだ当時、むしろ楽しんでいるように感じました(笑)

 

 

仕事は役割を提供することか、すべてを捧げることか

いままでに何度も書いていますが、日本では採用時に職種名が書いてあっても、就職すれば職種以外のこともやって当たり前だとされます。分かりやすい例では時間給で働いているアルバイトパートであっても、会社やお店の行事、送別会や新年会へは参加することが義務化しているのではないでしょうか。

強制ではなかったとしても、参加しなければ付き合いの悪い人、協調性のない人としていじめの対象になるかもしれない。

 

団塊の世代なら、それこそ部長の引っ越しもやり、正月には課長宅へお年賀にも行った。みたいなことが普通にあったのでしょう。

この先、ますます進む少子化による人手不足は、雇用の考え方を変えるかもしれません。だけど大手では連綿と続くかもしれません。

 

はあちゅうさんの場合は、電通という世界有数の広告代理店内での出来事。就職できても、上司に気に入られなければ飼い殺しにしたり、グループや下請けに飛ばされるかもしれません。

逮捕を免れた元ワシントン支局長の場合は、たぶん人数の少ない職場でしょう。ここに採用されるのは、狭き門のはずです。

 

「女も就職の世話をしてほしいという思惑があったから飲みに行った」のは、その通りでも、飲むことイコール性的な関係の承諾とはめちゃめちゃ距離があります。

色んな批判があるようですが、飲むことイコール性的な関係の承諾なら、流行している相席屋はどうなるんでしょう。女性は無料で飲み放題食べ放題だそうです。レイプされても、所詮男女の揉め事だからですんじゃうんでしょうか。おおコワッ(笑)

世の中の現実の流れと、古い世界に住む人や法律とのギャップが大きすぎるのかも。

 

 

はあちゅうさんの告発は本の宣伝のためか

はあちゅうさんも色々と批判されているようですが、Buzzfeedの記事が12月17日。そして20日に本を出版されていることから、本の宣伝でしょうと言われています。

私も宣伝だと思います。でもだからって何? インフルエンサーというか、ネットで話題を広げることが彼女の仕事のキモなんだから、当たり前なんじゃない。だいたいタイトルが『「自分」を仕事にする生き方』なんだし。

 

 

話題を最大化することを考えてたんでしょうね。あざといと私は思いますよ。

でもそこが好き嫌いは別にして、自分は努力してきたから、苦労してきたから偉いんだ。女をセクハラやパワハラすることぐらい構わないと考えてる男たちより、100倍マシだわ。

 

立場を利用して強制する人に対抗したり復讐するのだって、告発して出版するぐらいしかないんじゃない。

電車で何か腹立つことがあって、無実の人を痴漢呼ばわりして逮捕させても、その女性はリスクなし。でも顔出して名前知られてて、マスメディアやネットで取り上げられたらリスクだらけだからね。嘘が含まれてたりすれば、ものすごいリスク。

全部本当で巨大なものに挑むなら、あざとくなきゃ、生きてけないわ。

 

 

今日のBGM463【Clean Bandit - Rather Be ft. Jess Glynne】

 

Amazon - ニュー・アイズ<最強盤> / Clean Bandit 

うちでスタバのブランド魔法が解けたのは

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きっかけは「ビーンズカード」の終了だった。ビーンズカードというのはスタバでコーヒー豆を買うと、250円につき1つスタンプを押してくれる。スタンプの数に応じて、様々なコーヒー豆100gと交換できるというもの。

 

そのビーンズカードが9月で終了する。今後はアプリを使ってくださいとアナウンスされていた。だけどアプリ使っても余計なサービスばかりで、コーヒー豆を買うだけのうちには意味ないんだけどと奥さんがグチってた。

いやグチってほどのことでもないけど、スタバのコーヒー豆にこだわっていたのは奥さん。それは、味わいとフェアトレードという2点。

 

うちで買っていたのは、「フェアトレード イタリアンロースト」という商品名のダークロースト。それをだいたい毎月2kg。250gが1,140円だから、月に約1万円ほど。それを10数年続けてる。

 

私も、いいじゃんと気に入ってた。うちの奥さんは濃いコーヒーが好きで、家で朝飲むと、最初のうちはビックリするほど濃い。胃に穴が開くんじゃないの、ぐらいに思ってた。

いつしかそれに慣れると、外でどこの店で飲んでもぜんぜん薄いと感じるように。だから会社では、インスタントコーヒーを大量に入れたのを飲んでいる。インスタントコーヒーなら、勝手にいくらでも濃くできるからだ。

 

 

スタバのアプリを使うメリットってなに?

アプリのメリットって、スタバがどこにあるか検索できたり、行った店を記録できるとか、スタバファンのためのものだ。店内を利用せず、コーヒー豆を買いに来るだけの人にはオーバースペックだし、個人情報の登録がめんどくさい。

そもそも私も奥さんも、企業もののアプリを入れるなんていう習慣はない。たとえば外出先でプリンターを使う必要があってキンコーズに入ったら、アプリを入れると割引になると強く勧められて入れたけど、そもそもキンコーズを使うなんて1年に1度あるかないか。

通知が来ても何も関係ないから、削除してしまった。スタバのアプリを入れたからって、きっと同じことになる。

 

私も奥さんもスタバの雰囲気のファンではなく、スタバのコーヒー豆のファンなのだ。確かに深入りシアトル系コーヒーは好きだけど、それがスタバじゃなければダメってことじゃない。他を試したことがないだけだ。

だから奥さんから聞いたとき、他でも似たような味のコーヒー豆はあるはずだし、よそのイタリアンローストを試してみようよ。その方が安いかもしれないし、と言った。

 

味以外の理由は、フェアトレードだけど、それだってどれほどのものかは疑問だ。

そもそもスタバは資本が変わっちゃったから、色々と変えてるはずだよと。

 

 

スタバの資本の何が変わったのか

スターバックスジャパンという会社は、アメリカのスターバックスと日本のササビーリーグが50%ずつ出資して誕生した。サザビーリーグというのは、アパレル雑貨のSAZABYAfternoon Teaをやっている会社だ。

ただアメリカ・スタバ本社は契約更新を拒むことができるという契約で、サザビーリーグは2014年にスターバックス事業から撤退した。

海外のスタバがどういうものなのか知らないけど、日本のスタバはまあまあササビーリーグが作り上げたブランドだと言っても過言じゃないだろう。アメリカ本社のチェックはあっただろうけど、日本のイメージ戦略やオペレーションがないと、日本でもブランド力は作れなかっただろうと思う。

まあ私には、それほどいいもんかと思うんだけど(笑)

 

世界的なブランドは、こういうケースも珍しくない。外食産業だと日常茶飯事だし、他業界でもこのところの大きな話題だと、バーバリーがある。

認知度もイメージも高いブランドだと、資本が変わったところで、消費者はあんまり気にしない。でも実は商品の作り方からサプライチェーンマーケティングまでまったくと言っていいぐらいに変わってしまうのだ。

ナビスコヤマザキナビスコが商標権を持っていたけれども、アメリカナビスコ欧亜会社が日本で販売しているという。製造を中国に持っていって、利益率を高めているという。

自分がいくら好きだと思っていても、見えないところがまったく違っているならバカみたいな話だ。

 

 

うちのコーヒー豆代は約半分になった

そんなことを私が言って、奥さんが探し始めてすぐ、知り合いから美味しいイタリアンローストが買えるところがあると教えられたそうだ。

業務用のメーカーで、一般への小売りもキロ単位なら通販でしてくれるというのだ。

で、私が知らない間にうちのイタリアンローストは変わってた。というか、変わったことに私が気がつかなかったのだ(笑)

 

一応、業務用だし小規模な会社だということで社名は書かないけれども、約半額だ。コーヒーへのこだわりと、低価格で提供するために小規模でやるスタンスを貫いているらしい。応援するなら、こっちだわ。

 

でもマグカップは家でも会社でもスタバだわ。口に当たったときの感触が好きだ。

 

 

今日のBGM462【Jet - Are You Gonna Be My Girl】

JETが来日するってことで、やたらとこの曲が流れてる。耳から離れないわ。

 

Amazon - JET / Get Born  CD 

 

 

 

 

 

『残酷すぎる成功法則』にあの瞬殺された合気武道家が出てきて爆笑した話

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もう年末だから、今年も読んだ本で残しておくものと、ブックオフに売り飛ばす本を仕分けてる。そんなの一瞬で分けられるんだけど、昨年に残しておいても結局この1年読み返さなかった本をどうするかは、結構厄介だ。

 

面白いんだけど、残しておくほどのこともないしなぁと迷う本はある。『残酷すぎる成功法則』は、まさにそんな本だ。

あ、そうじゃん。ブログに書いて売っちゃえばいいんだよなと気がついた。この本が面白いと思ったところは、せいぜい一過性のもの。私にとっては、ブログネタ。ブログに残しておけば、あとで読み返して楽しめるし。

 

そのネタとは、合気武道家のこと。そこだけ読みたい人は下の目次から飛んでもらうとして、『残酷すぎる成功法則』はかなり面白い。面白いけれども、いい本でもなんでもない。そう思っている理由も書いておく。

 

 

 

『残酷すぎる成功法則』を買った理由は

誰が言おうが普遍的な成功法則があるなんて信用していないし、そんな嘘くさい本を買ったりしない。

買ったのは、なにより橘玲さんが序文と解説を書いていたからだ。橘玲さんの本は面白い。橘玲さんは間違いなくヒドい人で、ズケズケ書く。その遠慮なさっぷりが、本質的なところをエグくえぐっている。

そのエグり方を私は信用している。好きだってわけじゃなくてね。

以前、こんなことを書いた。


そんな風に思ってる橘玲さんが、「著者はうさんくさいものの代表だった自己啓発にどのようなエビデンス(証拠)があるのか、"科学"をもちこんだ」と書いている。

 

自己啓発本の大ベストセラーであるカーネギーの『人を動かす』やコヴィーの『7つの習慣』も、いまや科学のフレームワークで語ることができるようになったのだ。

こうした検証作業はたとえば、「強く願えば夢はかなう」かどうかを調べたニューヨーク大学心理学教授ガブリエル・エッティンゲンの実験によく現われている。

それによると、ヒトの脳はフィクションと現実を見分けることが不得意で、夢の実現を強く願うと、脳はすでに望みのものを手に入れたと勘違いして、努力するかわりにリラックスしてしまう。

ダイエット後のほっそりした姿を思い描いた女性は、ネガティブなイメージを浮かべた女性に比べて体重の減り方が10キロ(!)もすくなかった。成績でAをもらうことをイメージしている学生は、勉強時間が減って成績が落ちた。

 

ああ、なるほどこういう内容なら、9割の人が間違っているというのも、うなづける。面白いじゃないの。

 

自己啓発本の定番であるポジティブシンキングは、まさに「間違った木に向かって吠えている」のだ。

 

 『残酷すぎる成功法則』が日本語のタイトルで、「間違った木に向かって吠えている」ーBARKING UP THE WRONG TREEーが原題。

なるほどね。だったら読んでみよう。

と思っちゃたわけです。

 

 

帯に書かれているこういう話、面白いでしょう。

成功者は優秀?  →アメリカの大富豪の大学での成績は良くない。

成功者は社交的? →第一線の専門家やトップアスリートの9割は内向的

成功者は健康?  →シリコンバレーの成功者の多くは精神疾患スレスレ 

 

 

『残酷すぎる成功法則』のエビデンスは科学的じゃない

エビデンスという言葉は、どんなジャンルでも大流行りだ。だけどエビデンスは、業界によって使われ方がかなり異なる。

銀行とか役所とかでエビデンスといえば、公的な証明書類ということだ。たとえば運転免許証とか住民票とか登記簿謄本とか。だけど偽装もできる。土地の詐取とかができるのも、偽の書類を積み重ねていけば、登記を更新できたりする。

IT業界だと記録(ログ)ってことだ。これだって、偽装できる。だし森友問題みたいに役所が「捨てました」と言えば、なかったことにできる。

だから日本では証拠にならないことに、エビデンスと言っている。

 

医療の世界ではエビデンス=証拠に近いけれども、信頼性にはとんでもなく幅がある。権威が認めていること、の信頼性は低い。比較実験を行なった結果だと、信頼性が高い。

それでも例えばAという薬は、がん患者の90%を完治させたとかなら信頼性が高い。でもガンは完治したけれども、70歳以上の患者はみんな死んでしまったとか(笑) 

副作用まで含めれば、エビデンスの信頼性は、ものすごく細かく条件分けをしなければ、価値がない。人間が扱う以上、都合のいいところだけを意図的に使いがちだ。

つまりわざと騙すために。

 

なんでこんなことを書くかというと、私はエビデンスという言葉を使う人に、懐疑的だ。

本書『残酷すぎる成功法則』のエビデンスは、著者の取捨選択した誰かの体験とか心理学者の学説とか史実とか特異な物語だ。

だから科学的でもなんでもない。科学的なら再現性があり、ここで語られている成功法則に則って行動したり精神状態を作れば、成功する確率が飛躍的に高くなるはずだ。

しかし、こうしろという断定的な成功法則は、どこにも出てこない。

 

そう日本語版のタイトルが内容からすればおかしいだけで、本書に書かれているのは「間違った木」の数々だ。科学的な成功法則じゃなくて、間違わないための考え方を示した読みもの。

その前提で読むと、とても面白い。「やり遂げる力(グリット)」のところなんて、グリットがあるかないかは学歴でわかるという日本の成功者たちに、アホかと感じた私の考え方にもフィットしてた。

 

 

第3章「勝者は決して諦めず、切り替えの早いものは勝てないのか?」で書いているのはグリットのこと。

〝世界一過酷な軍隊シールズは『グリット』で乗り切れるのか〟なんてことが書いてあって、シリアスな話なんだけど、私はニヤニヤだった。『グリット』のノーベル賞級と言われる著者やグリットの信奉者は、『残酷すぎる成功法則』をどう読むだろうか。

 

 自信があって思い込みの激しい人は、成功する確率が高いかもしれない。しかし成功者が言ってるからといって、正しいとは限らない。中野信子さんによるとサイコパスに「勝ち組にも多い」そうだし。

 

『残酷すぎる成功法則』の第5章にも「無能な者より自信過剰なものが危険をもたらす」という節があるぐらいだ。

 

ここまで自信過剰と自信があまりないことの双方を見てきた。自信過剰はあなたの気分を良くし、グリットを与えてくれ、他者に強い印象を残せる。しかし反面、傲慢になりやすく、人々から疎外され、自己を改善できず、また現実を見ないためにすべてを失うかもしれない。一方、自信が不足気味な方が、道を究めるのに必要な意欲と手段を得られ、人々から好感を持たれる。だが気分は沈みがちで、他者から能力を低く見られるようなシグナルを送ってしまいがちだ。

 

と書いている。まったく賛成だ。

人間はバランスでしょう。バランスが取れてこそ健全なのに、社会的にいったん成功するとすべてに傲慢になりがちだ。逆に沈みすぎると、強いものにすがりがちだ。

 

そしてこの第5章に柳龍拳が「間違った自信の大きすぎる代償」として取り上げられている。私は電車の中で読みながら、声を上げそうになった。 なんでアメリカ人が柳龍拳を知っているんだと。

 

 

『残酷すぎる成功法則』に登場する柳龍拳氏と武道の妄想性

柳龍拳氏の名前は、どれぐらい知られているだろうか。私も衝撃的な試合前まで知りませんでした。

ウィキペディアには<合気道家、気功師、霊能者。「大東塾武道」総裁>と書いてある。合気道といっても、一般的に言われる合気道ではなく「柳によれば大東流合気道は、武田惣角を中興の祖とする大東流合気柔術や、植芝盛平を開祖とする合気道とは発祥が異なり、武田信玄の家臣(影武者)であった大東久之助の直系武術だとされる」だそうです。

まあ、こういう人です。

 

合気技を見事にやっているんですが、だんだん不思議になってきます。

 

私は合気道をどれぐらいだろう。複数やっていた時期があるので延べでいうと20年ぐらいやっています。こういう触れない技を見たことがあるかというと、何度かあります。見ていられないので、下を向いて笑っている顔を見せないようにします(笑)

私自身は養神館という合気道の流派で、摩訶不思議な技はありません。触れない技を行う人はいません。どんなに上級の師範でもいません。

ところが他流の師範には、そこそこいらっしゃいます。

えーっと、インチキだと思います(笑)  

 

インチキだと思うのは、信頼する弟子にしかやられないから。もちろん合気道は対立したり、対決したりするものではないので、挑戦的な人を相手にする必要はありません。でももし挑まれたら、どうするでしょうか。

 

触れずに投げる技が誰にでも効くと思っていれば、相手にするかもしれません。少なくとも柳龍拳さんは通用すると思っているので、なんと対戦相手を募集したのです。

ウィキペディアには「多くの他流試合を経験し、200人以上と試合をするも完全無敗で現在に至っていると主張、ウェブサイトでも対戦者を募っていたが、公には後述する一試合のみが知られている」と書かれています。

その試合がこちらです。

ああもう11年も前なんですね。

対戦相手の総合格闘家・岩倉豪氏は、この対戦のあと、さまざまなさまざまなメディアに登場されている。

合気武道家・ 柳龍拳との試合の絡みで、故塩田剛三先生に挑戦したときのことを語られている。塩田剛三先生は私がやっている養神館を作られた方だ。

 

僕も最初は“合気道なんぼのもんじゃい”みたいな気持ちで、グローブはめて、完全に殴り込みの気分でやりましたもん(笑)。でも舐めてたら、恐ろしい目に遭わされました

 

投げられて左肩外されたんですよ。問答無用で殴りかかったんですけど、その突進する勢いを利用されて、一瞬でとばされました。そのまま受け身の取れない角度でおとされたんです。アレは自分の身で確かめましたから言えますね。超能力とかじゃないし、弟子が師匠に遠慮して飛ぶのでもない。本当の技術ですね。たぶん、あのとき僕の首を折ろうと思えば折れたんじゃないですか?

齢70歳の“生きる伝説”が、無名の格闘技オタクに植え付けたもの

 

合気道にもいろいろな流派がある。養神館は実戦性を持っていると言われるが、それでも塩田剛三先生の直弟子の師範の先生方が、今はもう…とおっしゃる。

かつては演武で受けを何度も救急車で病院送りにしていた先生が、今ではもうかなり優しいのだ。たぶんこの十年ぐらいで大きく変化した。そんなことをしていたら、誰も残らないというのだ。

私の先生も同じことをおっしゃる。君だって、残っていないだろうと。ええ、そりゃ武道に命かけてませんし(笑)  ストレートにそんな返事はしていないが、仕事とか家庭とか、そんな話でごまかしたと思う。

 

養神館の先生方、そして長年やっている人たちは、他流に比べて、まだ自分たちのやっていることの限界を知っている。少なくとも怖さを知っていて、自信満々じゃない。だから圧倒的な体格差のある相手にはどうするかとか、技が掛からなかった場合の次の展開とか、当身の方法とか、普段の稽古にはないことを教えられたり、やっている場合が多いと思う。

ところが他の合気道では、漠然と有段者は強い。師範は強いと思っている人が多そうだ。というか、そういうことをいう人は少なからずいる。

 

ただそんなのは、どんなに実戦的だと言われる武道や格闘技でも同じだ。

私は昔々の部下から、久しぶりに会った銀座の喫茶店で、今ここで殴りかかったらどうしますかと聞かれて「蹴るよ」「このスプーンで刺すよ」と答えた。ボクササイズをやってるぐらいで、アホかと思った(笑)

突然襲われたら、自分のできることをすべてを出すのが当たり前なのに、道場やジム内でのルールがあらゆる場面で適用される、通用する、みたいな妄想を持っている人は多い。

 

 

『残酷すぎる成功法則』は柳龍拳氏の何が間違っていたと書いているか

柳龍拳氏も弟子相手に道場でやっていることが、どこでも通用すると妄想したんだろうか。

私がインチキかどうかを判断するシンプルな方法は、他と交流するかどうかだ。交流していても、他の流派や他の武道の人に手を取らせることをしないなら、間違いなくインチキだ。

閉鎖的にしていれば、インチキはバレない。バレにくい。閉鎖的なメンバー内でやっているなら、嘘だって妄想だって共有できる。柳龍拳氏は対戦を公募したのだから、本人は本当に触れずに飛ばせると信じていたのは間違いない。

そのあたり『残酷すぎる成功法則』がどう書いているのか、抜粋してみます。

 

自身の脅威の能力を証明するために、柳は総合格闘家、岩倉豪からの挑戦を受けた。勝者には五〇〇〇ドルが支払われることになった。ついに気功によって人を倒す力を正確に試す機会が訪れた。レフリーが両者の間に立ち、試合開始を告げた。柳は手を上げて、敵に向かって気を集中させたー。

とその瞬間、岩倉が柳を激しく殴った。

勝負は1分足らずで決した。懐疑的だったあなたは正しい。自分の能力に対する極端な自信は強力な力になる。しかし、物理学、生理学の法則を曲げるほどの力にはならない。

 

しかし柳龍拳がいんちきなら、どうしてわざわざ対決を受けたのだろう? 尻を蹴られ、五〇〇〇ドルを失い、インターネットで無数の人に見られて恥ずかしい思いをしてまで?

 

作家で神経科学者のサム・ハリスこう言う。

柳龍拳の間違った思い込みがどのような経緯で生じたのかはわからないが、一たび誰もがこぞって転び出すと、彼の妄想がどのように維持されたかは容易に想像できる。柳の視点に立って想像してみよう。もしかしたら自分は、少し離れた敵を倒すことができるのではないかと考えていたとする。すると弟子たちが見計らったように揃って倒れるようになり、それが何年も続き、自分は本当にそうした能力があるのだと信じ始めたのかもしれない。

 

ああ、たぶんこの解釈が正しそうだ。柳龍拳氏にもともと妄想癖があったとしても、挑戦者を募集するまでになったのは、弟子たちと形成した共同幻想の世界に生きていたからかもしれない。弟子たちの忖度ぶりだって、かなり問題だ。

著者はこう続けている。

 

こうした経験をするのは武道家に限らない。企業経営者にもよく見られる。そしておそらくあなたにも。自信は、能力を向上させ、成功を引き寄せる。また、他者にあなたを信用させる。

 

人は誰でも多かれ少なかれ錯覚をしている(我が子は人並み以上に思えるし、運転の下手な人の多くはそのことを認めない)。だが、一定の閾値を超えたときに、問題が生じる。

 

 

成功よりバランスを取りたいならこの本でいい

私もまったく同感だ。

この本の感想のまとめとしては、『残酷すぎる成功法則』に科学的なエビデンスは、ほぼない。どころか常識的に冷静に考えていけば、導き出せる答えばかり。でもそれに至る納得度の高く、面白いストーリーを探し出してきてる。

 

 

だけど成功ってなんだろう。金持ちになりたいとか名声を得たいのなら別だけど、何より病まずにバランスの取れた生き方を目指したいなら、私はこちらの本をお薦めする。

今の世界、特に成功論に決定的に欠けてるのは「離見の見」だわ。

 

風姿花伝・花鏡 / 世阿弥