不透明なチカラですが、なにか?

テーマはいろいろ。というか絞れません。2013年7月以前は他のブログサービスからインポートしたので、リンクや画像等がなくなってるかもしれません。

大相撲に神事だなんだとタグ付けするのはヤメにしたらどうよ

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Niigata, Sumo Ring. Yahito-jinja Shrine, METI, CC BY 4.0 International

 

年末、ある公立のスポーツ施設に「月刊武道」が置いてあった。他はイベントのチラシとかばかりなので、手に取って読んでみた。

「月刊武道」って前から知ってるけど、誰が読むんだと思ってた。なんだろ、武道の古い古い歴史? 今の武道とはほぼ関係がない。

 

 

日本武道館でライブがあって終わって明るくなると、「月刊武道」の電飾が光る。なんだあれとさえ、思う人は少ないかもしれない。たぶん文部科学省から出た金で、日本武道館が編集しています。

パラパラとめくると、そこに相撲についての話が。相撲が「武道」になった経緯が書いてありました。正確に言葉まで憶えていませんが、「興行であった大相撲が戦争に向けての時勢で武道となった」「国技という根拠はない」という趣旨のことが書いてありました。

 

私はもうおかしくておかしくて。文部科学省日本武道館が武道武道と嘘くさい定義付けをしているのに、「月刊武道」にこんなこと書かれちゃうかと。まあ武道必修化で書いたこととリンクしています。


 

 

相撲はいつの時代に神事だったのか 

私は以前から相撲に日本古来のとか、神事としての側面とかいう言葉を見ると、なんだよそれと思う。最近は暴行問題でテレビで取り上げられるたび、「神事」という形容が必ずされる。

テレビ局がどういう意図なのか知らないけど、いちいち「神事」と繰り返しだしていれば、大相撲が特別なものだというコンセンサスができてしまう。いやもう、とっくに大相撲=神事が常識になってるかもしれない。

でも、いつ神事だったの?

 

日本書紀では、雄略天皇采女に褌をしめさせて相撲をとらせたという、いわゆる「女相撲」が、書物に出てくる相撲の記述の最古のもの。これが土俵は女人禁制としていた現代の大相撲とどうつながっているんだろう。

 

横綱の四股踏みは悪い地霊が出て来ないように踏みしめるものと言われたりしますが、悪い地霊とは、要するに土地の神なんじゃないかと。もう昔々に読んだ何冊もの本に、そんな記述が書いてあったように思います。

神様とは、強大なチカラを持っている存在で、いいも悪いもない。それを横綱が大地を四股で踏みしめることで、いわば脅している。そんな意味だったと思います。

太宰府天満宮だって、都の疫病の流行や飢饉などは菅原道真の祟りだと朝廷が恐れおののいて、供養のために建立したもの。決していい存在だから祀ろうと考えたわけじゃないよね。

 

家やビルを建てたりするときに行う地鎮祭は、いわば土地の神様によろしくねと挨拶して、ご機嫌をとっているようなもの。四股踏みとは、ちょっと意味合いが違います。

 

 

あの富岡八幡宮で、横綱が奉納演武するけれども

女性宮司が前宮司である弟に斬り殺された富岡八幡宮には、横綱力士碑があります。新横綱が誕生したときには、この碑に刻銘され、新横綱が土俵入りを奉納します。

大相撲に宗教的な意味をいうのであれば、歴代横綱の奉納演武が悪い地霊が出て来るのを抑えられなかった。もう抑えられなくなったとも言えますよね。

ああ、なんてイジワルな言い方(笑)

 

刻名式は日本相撲協会の行事

 

 

 

そもそも奉納演武って何かというと

私も奉納演武に出たことがありますが、要するに神様に見てもらうということです。すべての奉納演武がどうかとは言えませんが、通常はお祓いをしてもらい、玉串料を納めます。

だから、新横綱が土俵入りを奉納するから神事だと考えるのはどうか。これって、新横綱が「これからよろしくお願いいたします」と、神様に挨拶しに来ているだけでしょう。と思います。

 

それどころか奉納演武って、子供のピアノやバレエの発表会と同じようなもんなんじゃないのと私は考えています。江戸時代までだってそうだし、いまだって武道などの場合は発表する、人に見せる場がない。試合のあるものなら、試合を見せることはできるけれども、試合がなければ、奉納演武といえば、なにか権威とか重厚感がありげな感じがする。本質的には、それほど違いはないんじゃないかと。

 

そんなことは書くと、いや相撲は違う。神事相撲があるし、日本相撲協会が言うように収穫を占う宮廷行事となり300年続いているんじゃないのと反論がでてきそうだ。

神事相撲というのは、勝敗で五穀豊穣や子孫繁栄を占うもので、たぶん八百長。というより勝ち負けの決まっている儀式。こっちが勝ったら豊作で、こっちが勝ったら凶作となっている占いで、少なくとも縁起を重要視する日本人が、公開で真剣勝負をやりそうにはないよね。

それに今行われている神事相撲は、ほとんどが子供相撲で、大相撲とはほぼ無縁なんじゃないだろうか。

 

さらにいえば現在の大相撲の原型は、勧進相撲だ。

 

 

ウィキペディアによると大相撲の諸制度の原型は勧進相撲にあるらしい

Wikipediaには

「神社仏閣の建築修復の資金調達のための興行を勧進といったが、神社の祭礼に相撲が行われることが多かった(神事相撲)ことにあやかり、営利目的であるにもかかわらず「勧進相撲」と称して興行をすることが常態化した」 

勧進相撲の諸制度は大相撲に直接受け継がれており、特に江戸相撲のそれは後継組織である大相撲に多大に影響を与えている。 

文禄・慶長の頃(1600年前後)には上方では盛んに巡業が行われていた[2]。しかし慶安年間には浪人、侠客が出入りして始終喧嘩が絶えない事態になり、各地で勧進相撲は禁止された。江戸幕府は慶安元年(1648年)に「風紀を乱す」という理由で勧進相撲禁止令を出している。その後数十年を経て徐々に解禁されるようになったが、例えば京都相撲は暫くの間は文字通りの「勧進」相撲として興行し、江戸相撲は街中での興行(辻相撲)を禁じられて寺社の境内などで興行を行うようになった(同時に、興行の届け出先が町奉行から寺社奉行に移動した)。

 

などと書かれている。

実際、大相撲の制度のことまでは分からないけれども、勧進相撲と称したのは納得感がある。単純に興行となれば、力較べでもなんでもなくなってしまう。

ちなみに女相撲も江戸中期に人気で、そして明治の中頃まで禁止されたり復活したりしたそうだ。

 

しかしそんなことよりも、ここで重要なのは、寺社の境内などで興行が行われていたこと。

テレビでは神事ということしか出て来ないけれども、お寺でも興行が行われていたとある。これがどういうことかというと、江戸時代までは「神仏習合」でお寺と神社の併設されていたのだから、神社でだけ、お寺でだけということがないのは当然だ。

横綱力士碑のある富岡八幡宮も、別当寺である永代寺を持っていた。別当寺は神社を管理する寺で、「神社はすなわち寺である」という存在だ。これは明治の神仏分離令まで続く。

 

相撲協会もそうだけど、メディアも含めて、古来の神事からの流れだけを強調し、仏教・お寺の影響を意図的に隠しているんだろうか。

知ってるけど、言わない。ということね。

 

 

大相撲が、どれほど神道的なのか

少なくとも古代の神道は、民俗信仰をベースとしたアニミズム的な八百万の神を畏れ敬い、祀るというもの。教義も教祖もいない。

 

江戸時代に、儒教や仏教などの影響を受ける前の神道を追求した古神道とされるものもあるけれども、いずれにせよ、現在の社殿のある神社神道とは大きく違う。

祭神は分霊(わけみたま)され、他の神社に無限に祭ることができる。祭っている神は、そこに常に存在しているわけではなく、マレビト。訪れる存在だから、分霊が可能。

家や会社に神棚があるのも、そういうこと。そこに神が訪れる。

 

よく参道は真ん中を歩いちゃいけないというけれども、あれは祭神が鳥居をくぐり、参道の真ん中を通って訪れるからだ。

 

横綱が締める注連縄(しめなわ)は、依り代なんだそうだ。

相撲の土俵には、相撲神(戸隠大神、鹿島大神、野見宿禰の三神)の依り代が作られる。本場所前日に「土俵祭り」が行われ、土俵中央に依り代となる白幣が建てられる。場所が始まると、その白幣は行事部屋と支度部屋の神棚に祀られるという。

あれ、相撲三神は、取り組み見ないの?

どうも見ないみたいよ。

 

実は吊り屋根になっている現在の大相撲の土俵。本来は、一番上の写真、彌彦神社の相撲場のように四本の柱のある屋根だった。その柱が依り代だったのよね。

1952年にテレビ放送の邪魔だということで、柱が切られたらしい。柱の代わりの依り代は屋根からぶら下がった房というように昔々なにかで読んだんだけど、どうも、相撲神の依り代は行事部屋と支度部屋の神棚に。房を依り代にしているのは、四方の神々なんだそうだ。

ふ〜ん。

だけど伝統とかなんとか言うなら、そんな風に変えちゃっていいんだろうか。

 

大相撲が神道の形式を多く取り入れているのは間違いないけど、その形式を変えちゃったらどうなるんだろう。

いやだって、所作、様式という形式だけでしょう? 様式美はあるけど、神道的な意味合いがどこにあるんだろうか。

 

今後新横綱が、奉納の土俵入りを明治神宮でだけやるようになったとしたら、どうよ。明治神宮明治天皇が祭神だし、場所的にも古来からの聖地でもなんでもない。代々木公園自体が旧陸軍施設だしね。

神道というより、人工的な国家神道。自然発生的に歴史の中から生まれた伝統の様式というより、人工的な形式の模倣?

 

 

相撲とプロレスや格闘技は、どう違う?

日馬富士の暴行事件で、マスメディアも世間の関心も高い。私はなんでこんな話が、毎日毎日取り上げられてるんだと不思議。

こんなことプロレス団体や、RIZINやK1の出場選手間でリングの外で起こったことがある? 起こったとしても周囲に選手たちがいたなら、止めるでしょう。

 

だって単純な刑事事件だよ。無抵抗の人間を、カラオケのマイクでガツガツ殴った。それを周囲にいた関取たちが、止めたのかどうしたかの道義上の問題。

日本相撲協会は、公益財団法人。公益になることだから、興行であっても非課税。プロレス団体や格闘技団体は、当然課税されてるけど、モラルは角界以上にありそうよ。

角界は、土俵以外で人が死んだり怪我したり、そんなことが定期的に起こってる。なのに、公益なの?

 

それもこれも神事だ伝統だと、メディアが率先して植え付けてるからって気がする。だから多くの人が聖なる領域で、特別な存在だからと思ってしまうんだろうか。

 

公益財団法人日本相撲協会を監督しているのは、文部科学省宗教法人を管轄しているのも文部科学省池坊保子日本相撲協会評議員会議長は、元文部科学副大臣で、公明党女性委員会副委員長。日本相撲協会が公益財団法人になるために、外部識者として選ばれた。

見えてるでしょうよ。

 

 

相撲に特別な意味を見出すんじゃなくて、具体的に伝統的な優れた技法や稽古法を取り上げるべきだわ

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