不透明なチカラですが、なにか?

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クマが人間を襲うとき

アイヌ民族最後のクマ撃ち猟師・姉崎等さんに、テレビ番組制作会社のディレクター・片山龍峯さんが聞くという形式で書かれた『クマにあったらどうするか』という本が、やたらと面白かった。きっとクマの生態を知る資料としても貴重なんじゃないだろうか。

2002年に出版された本の、再編集文庫化で、両者とも、故人。

クマにあったらどうするか: アイヌ民族最後の狩人 姉崎等 (ちくま文庫)

クマにあったらどうするか: アイヌ民族最後の狩人 姉崎等 (ちくま文庫)

 

だけど、どうしてこんなに可愛らしい表紙にしたんだろう。と思いながら読み始めたら、クマ猟や襲われたらどうするかということが主題なのに、実はクマに対する愛に満ちている内容だな。表紙のイラストは合ってるわと思った。

アイヌでは、クマはカムイ(神)なんだそうだ。

 

 

「クマは私のお師匠さん」だという姉崎さん

5分で作る狩り小屋、泊ってはいけない場所、天候を読む。山に入るときは、火の神様に祈り、山の神様に祈る。クマを狩ったあとは、イナウチパ(屋外の祭壇)を作り、魂送りでクマに持たせるイナウ(御幣)を何日もかけて作る。

アイヌの習慣、狩人としての知恵。それらのすべてが新鮮だ。

狩猟しておいて矛盾してるじゃないかと思えるかもしれない。でもそれは、アイヌじゃなくても、日本料理の生命をいただくという感謝と同じ意味合いだけど、食べる肉として、あるいは売って生活の糧にさせてもらうことへの感謝ということのよう。

アイヌ民族には「この世に無駄なものは一つもない」という伝統的な考え方があるそうだ。姉崎さんは、人間が原生林を伐採して、成長の早い針葉樹ばかりを植林したために森が分断された。針葉樹の森は日がささず、動物も小鳥も棲めない。ミミズも昆虫もいない。「山は生きているようには見えない」と言う

 

クマを追い、クマのように考え、クマの行けるところなら自分も行ける。クマに山を教えてもらったと言う姉崎さんの言葉は、重いよね。

 

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クマは滅多なことでは、人間を襲わない

山にエサがないから、里に出てくる。そこで人間と不意に出くわして、襲われるという事故が起こる。あるいは山に入って食べ残しの弁当を捨ててきたりすることで、人間の食べものに興味を持つようになる。

姉崎さんによれば、肉食獣ではないクマが人間を襲うのは、自分のエサが取られてしまうとか、子連れの時に危険を感じて人間を襲うんだということらしい。しかも、クマは人間を自分より強いと思っているという。それはチェーンソーで木を切り倒したりしている様子を観察していたり、ハンターが自分たちを狩りに来るからだという。

 

襲ってみると、恐れていた人間はなんて非力なんだと知り、恐れなくなる。人間を齧ったり食べてしまったクマは、次は最初から人間を食べるために襲うようになったりするという。

スゴい文明批評。オススメです。 

クマにあったらどうするか: アイヌ民族最後の狩人 姉崎等 (ちくま文庫)

クマにあったらどうするか: アイヌ民族最後の狩人 姉崎等 (ちくま文庫)

 

 

今日のBGM-361【 The Teddybears - Sunshine 】

まああの、こいつらは襲いませんから(笑)

 

Sunshine

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