不透明なチカラですが、なにか?

テーマはいろいろ。というか絞れません。2013年7月以前は他のブログサービスからインポートしたので、リンクや画像等がなくなってるかもしれません。

日本人は、お金が大好きで、ハゲタカで、不真面目だという本

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『投資家が「お金」よりも大切にしていること』という本を読みました。

私はたぶん、金融系、特に投資を仕事をしている人に偏見がある。というのも、現実に知っている投資関係の人たちが、揃いも揃って、鈍いなあと感じさせるからだ。何に鈍いって、人の感情に対しての感度が鈍い。分かりやすくいうと空気を読もうとも思ってないし、読めない人なんだろうなという気がする。

 

あ、それは投資だけじゃなくて、経営者とか医者とか士業の人たちに対しても、たいがいそう思う。だけど医者は、例えば血を見て動揺してるようじゃ仕事にならないし。法律とか行政手続きに関する仕事をしていれば、人間味があることは、仕事の邪魔になるかもしれない。だから、理解できなくもない。

でも投資家は、極端に言えば儲かりさえすれば、誰が泣こうが死のうが関係ないという人たちかも。なんて思う。そりゃあ、いちいち感情が揺さぶられてたら、投資なんか出来ないだろう。なんでそんな仕事をするんだろうとさえ、思ってしまう。

 

だけど、そんな風に思ったりする私でも、実は否応無しに投資に関わってるということは理解してる。

厚生年金に入っていれば、国は金融機関に運用させてるわけだし、株式市場にもぶち込んでる。そしてその結果、「損失が出ました」なんてことになったら、怒り狂うだろう。銀行預金や生命保険も同じこと。自分で投資してないだけで、実は強欲なのかもしれない。

  

 

「日本人は、お金が大好きで、ハゲタカで、不真面目」

この本の第一章は、そんなタイトルになっている。けっこう衝撃的な内容だけど、なかでも驚くのは3.11が起きた2011年の成人一人当たりの寄付額は、6551円だという。なんだそれと、ビックリした。いったい、どうなってるんだろう。この数字が本当なら、してない人がどれだけ多いんだろう。

うちは自治会で集めた義援金に数万円出したし、所属する団体はどこでも集めたから、全部でいくら出したのかさえ、はっきりと覚えてない。

3.11後は、なるべくクルマに乗らなくなったし、電気もできるだけ使わなくなった。震災の被害だけじゃなく、原発事故による価値観の転換は大きかった。日本人の大半がそんな感じだと思ってたんだけど…

もちろん、原発を推進する人や豊かな暮らしのために絶対必要だという人もいる。原発に反対でも、福島を閉鎖しろと言わんばかりの人たちもいるけど、それでも6551円は衝撃だ。 

 

たぶん著者が、あえて「日本人は、お金が大好きで、ハゲタカで、不真面目」という話から始めたのは、私たちが常識だと思っていることが、実体は違うぞということを理解させたかったんだろう。投資の仕事は、きっと人が目をつけないところに着目しないと、成り立たない。誰もが「この会社は成長する」と見込んで殺到しているところに乗っかっていたのでは、利益が出たとしても一般人レベルの小銭だろうしね。

 

「より良くて、より安い商品やサービスを提供する」これは商売の基本といえるでしょう。しかし、それが行き過ぎてしまい、過当な価格競争やサービス合戦を行うのは、商品やサービスの提供者だけでなく、受け手の意識や行動にも大きな原因があります。

 

これはもう私が常々思っていることと同じで、消費者が安いものを求めてるし、過剰なサービスを要求するし、それに応えよう合わせようとする企業が多いのが原因だ。普通より安い商品は、たいがいそれだけ泣いている人がいる。ブラック企業かもしれないし、海外で児童虐待みたいなことや劣悪な環境で仕事をさせているのかもしれないし、と想像する人が少ないんだろう。

どころか日本では「奴隷じゃないんだから」と、揶揄するようなことを言う人たちも少なくない。経営的には安く使えることを追求するのが当然で、安く使われるのは本人の選択だという主張を振りかざすのは、私には傲慢な、はっきり言えば反社会的な価値観だという気がする。

「時給1500円」で日本は滅ばねぇわ 

 

著者が言うように「受け手の意識や行動にも大きな原因」があるけれども、「そこにハメよう」とする人たちが増えているのも間違いない。

 

世の中は、みんなが使ったお金で成り立っている

著者は、経済とは互恵関係だと言います。

つまり何が言いたいかというと、色がついていないからこそ、お金には私たちの考えや態度が100%反映される、ということです。

確かにそう。

 

応援消費という言葉も、自覚的にお金を使おう。応援したいところにお金を使えば、その会社が伸びるわけだし。反対に、ブラックなところでお金を使わなければ、廃れていく。確かにそうなんだけど。だけどなぁ、経済が停滞したり格差が広がれば、応援したところにお金を使おうとしても使えない。省けるところは省きたい。安くなるものは、安く手に入れたいのが普通だ。

 

この本に出てくる欧米の寄付文化は、自覚的にお金を使う象徴的な例だ。一般人は確かにそうだけど、富裕層はどうだろう。悪辣なことをして儲けていても、社会的な支援活動に多額の寄付をしたり、基金を作ったりすると、それが一種の免罪符になる。まるでキリスト教の懺悔に近い行為とは考えられないだろうか。

あるいは、過剰に生産した物を破壊し消費しようとする欲求。バタイユの蕩尽論にある、破壊と消費の祝祭にも似た行動のようにも思える。

当然、日本でも似たようなことはあるわけだけど。

 

そうだとしても破綻するまで続く資本主義の中では、互恵関係だと考えて、自覚的にお金を使うのが、唯一マシな行動であることは間違いないよなぁ。

私が鈍いと考えるような人たちの方が、むしろ本質を見抜いてるのかもしれない。

投資家が「お金」よりも大切にしていること (星海社新書)

投資家が「お金」よりも大切にしていること (星海社新書)

 

  

今日のBGM-379【The Flying Lizards -Money (That's What I Want)】

このMoney (That's What I Want)って曲、ビートルズストーンズツェッペリンやスティービーワンダーまで歌ってるのよね。