やり遂げる力=グリットが、これほど持ち上げられるのはどういうことなんだ
先日「学歴は、やり抜く力の凝縮」「やらない人は自分を正当化する言い訳が上手い」とブイブイ言わせてる起業家の方がツイートして、それをブイブイ言わせてる新手の起業家の方がリツイート。
さらに「だからこそ学歴に自信がない人は早い段階で「グリット(やり抜く力)」があることを証明しないといけない」とツイートされていた。
一連の流れのに、はぁ〜と溜め息つきながら、自己正当化の権化のみたいな私が、ちょっとは解説しとかないと世の中のバランスがオカシクなるわとばかり、タラタラと言い訳を書いてみる。
というか雇う側の人たちが、あえてこういうことを発信する理由はなんだろう。求職者に対するアドバイスか? それとも現状への不満か? それとも仕事に対する情熱のほとばしりか?
成功者がもつ共通点「グリット」って、なに?
日本では昨年末、『GRIT』という本が発売されました。世界中でベストセラーだそうです。
グリットとは、著者アンジェラ・リー・ダックワースによると「物事に対する情熱。目的を達成するためにとてつもなく長い時間、継続的に粘り強く努力することによって、物事を最後までやり遂げる力」だそうです。
そして成功する人たちは、共通してある1つの性格「グリット」を持っているといいます。
しかし「グリットは短距離走ではありません。長距離走なのです」という割には、数年間しか調査してないわけね。数年間で長距離走の結果は、わからないと思うけどな。
私には、たかだか数年間走らせるための提言としか思えないです。なんていう底の浅い心理学者だと。
もっとも、多くの起業家からしたら数年間全力疾走させれば十分なわけで、数年以上のことは予想もできないし保証もできない、と思っていて当然です。10年以上も先のことを言えるのは、大ウソつきか宗教だけでしょう。
そりゃあ何するにも「やり遂げる力」は、必要だと思いますよ。そこは間違いなく。
だけど、数年間全力疾走させたいのは雇う側の論理。その危険性を知らない心理学者って、アホかと思います。やり遂げた結果「何があるのか」を言わずに、やらせたい起業家はロボットを雇った方がいいんじゃないのと思います。
起業家自身に必要なのは「やり抜く力」じゃなくて「やらせ抜く力」でしょう
日本で名前が出てくる起業家って、たとえばソフトバンクの孫さん。楽天の三木谷さん。サイバーエージェントの藤田さん、ZOZOTOWNの前澤さん、はたまた連続起業家の家入さん。
あなたが学生なら、将来この人たちみたいになりたいだろうか?
私が今学生だとしても、まったく興味がないと思う。孫さんがいなかったら日本のインターネット環境は、ずいぶん遅れていたかもしれない。そりゃあ、すごい人だ。で、遅れてたら何か問題でも?
成功するって、お金持ちになること? それってどれぐらいの資産を持てばいいの?
著者は「最上位の目標を持て」と言います。
最上位じゃなきゃダメですか? そこそこじゃダメです?(笑)
金と名声を得て、芸能人とかモデルと結婚したいならビッグな一流の経営者を目指すのも、そりゃあありだ。あなたに、それだけ目立ちたい欲望とやり抜く力があればだけど。
揶揄してるわけじゃなくて、著名な起業家になろうとするなら、目立ちたがりと厚顔が同居してなきゃ。厚顔は才能だよ。
目立ちたがり度は、もしかすると女優や俳優よりはるかに強いかもしれないです。
起業家が自社の採用のために、応募者に「グリット」を求める。それは当然だ。途中で折れちゃったり逃げ出すやつは会社にとって損失なんだから。
だけどそれで「学歴はやり抜く力の凝縮」と言い出すと、意味が違う。
解釈できるのは、こういうこと。うちの採用基準は、まず「学歴」です。どこどこ大学の何学部以下は足切りしますというラインを持ってて、それを社内で正当化するために言ってる。偏差値で、やり抜く力が判定できるんだからという考え方。
別に社長が、そんな基準を持つのは勝手。ネットでエントリーするようになってから、大学学部によって表示するものが違うんだから、つまりはどこでもやってること。
それともう一つ。そういうことを言う人たちは自分に「やり抜く力」がある前提で公言してるんだろうけど、起業家に求められるのは「やり抜く力」じゃなくて「やらせ抜く力」だよ。
ラーメン屋を起業した人なら、自分で麺打ったり、メニュー開発したりするかもしれないけど、起業して「◯年後に上場。◯年後には業界No.1に」みたいな目標掲げている人なら、自分じゃ現場の仕事はやらない。どうやったら、やらせられるかに注力する。
だから内容に関係なくやらせて、「やり抜く力」のある人を求めるのよ。マネジメント力でやるんじゃなくて、指示すれば、あとは放っておいても最後まで「やり抜いて」くれる人って意味ね。
あるのはやっぱり強烈なエリート意識とか階層意識?
私には「何を」に関係なく、人にやり抜かせようと思い始めるのか、「やり抜かせる」ことに情熱が持てるのか、そこのところがまったく理解できない。MBAとかを否定してるんじゃなくて、そういう人はコンサルタントになればいい。
自分がある分野で長年やってきて、実績もある。でも年齢とともに色々衰えてきてるから、教える側とかマネジメント側に回ろうというなら、理解できる。
ところが10代でも、やらせる側に回ろうとする人はいるもんだ。
中学生のとき、体育祭があっていくつかの競技に出なきゃいけなかった。私は、ひとつはバスケットボールに出た。バスケに出た記憶はハッキリしてる。私たちのクラスはバスケ部に入ってる奴がリーダーになって、編成された。
リーダーになった奴は、自分自身は出場しなかった。ところがメンバーを頻繁に入れ替えた。もちろん、バスケはいくらでもメンバーチェンジしていいし、交代させるタイミングはいくらでもある。だけどゴールやファウルなど交代可能なタイミングには必ず交代させた。だけど誰にも交代の理由はわからない感じで、進んでいった。
私はこいつって何? 自分に自信があれば、まず自分が出場すればいいじゃん。
プレイ中はテンション上がってやってても、交代させられたらテンション下がるじゃん。でまた急に出場させられても、アドレナリンは出ないわ、みたいなことを思ってた。
後から考えても、交代させるだけだから戦術でもないし、あれっていったいなんだったんだろと不可思議だった。自分はプレイヤーじゃない。でもいろいろ、動かしてみたかっただけ? 動かすことだけが、やりたかったの?
そいつは京都大学に進学し、官僚になった。
あ、もしかして「学歴は、やり抜く力の凝縮」なんだったら、東大生について言及しなきゃいけない?
東大出身者は、どんなやり抜く力を持っているのか
実際に東大出身者なんて、そんなに知っているわけじゃない。キャリアで、中央官庁からローテーションで傘下の役所に出てきたときに会った人は何人かいる。え、どうして東大卒だと分かるかだって? それはキャリアだとわかって、水を向ければ「東大です」と必ず言うから(笑)
実際の知り合いでは、東大卒業してアメリカに行って、ユダヤ人女性と結婚して、金融ビジネスを起業した人がいる。もうマンガや映画にでもなりそうな絵に描いたようなコースだ(笑)
「やり抜く力」は皆さん持っていそうだけど、申しわけないけど、私は何にもうらやましくない。スゴイなぁとは思っても、この人たちは持っていないものが多すぎる。持っているのは何かというと、人脈だ。
以前、ある中央官庁傘下の巨大組織の新卒採用に関連する仕事をしたとき、人事の人に「それで評価されるのは、どういう人を採用できたときですか?」と聞くと、即座に「東大法学部卒を何人採用できたかです」と返ってきた。
結局そこかと。
東大法学部卒が仕事できるからでも、賢いからでもない。東大法学部卒の同級生や先輩とのつながりを持っているからだ。なにより欲しいのは、そのつながり。
かつて、銀行や大手証券会社にはMOF担と呼ばれる人たちがいた。大蔵省(現財務省 Ministry of Finance)に出入りして、官僚から様々な情報を聞き出す役割の人たち。
MOF担(モフタン)になるのは、ほとんどが東大法学部卒だと言われていて、同じ東大法学部卒の大蔵官僚と折衝していた。
折衝というより仲良くしてなあなあになるには、接待も必要だったんだろう。ところがその接待がエスカレート。大蔵省接待汚職事件で逮捕者まで出た。当時センセーショナルに報じられたのは、ノーパンしゃぶしゃぶでの接待。大蔵官僚側から、ほのめかしたそうです(笑)
ノーパンしゃぶしゃぶなんて店があることを報道で初めて知りました。そんなところで接待されたくて、見返りに機密情報漏らすなんて、町工場の社長かよと(笑)
あの、東大とか官僚とかを軽んじてたり、バカにしてるわけではなくて、「学歴に、やり抜く力は凝縮されていないでしょう」と言いたいだけです。いや東大に合格することが最上位の目標なら、凝縮されてるわけね。ああ、そうか、そうね。
目標に到達するために、人間として習得しているのが当たり前のことが欠けていませんか。たとえて言うなら料理人が最高に美味しい料理を作るのが目標で、達成したんだけど、食べた人が食中毒で入院しちゃったら、目標設定自体に欠陥があった。間違いだったとなりませんか。
東大に入れるほど、キャリアになれるほど勉強してきたのは、そのあとの人脈、日本の超エリート層に属したいというモチベーションで突き進んだんでしょ、と思えます。
だって、最近でも出て来るのは、こんな話ばかりじゃないですか。
「このハゲー!」の豊田真由子議員は、東大卒でハーバード大大学院修了。「やらせ抜く立場」であっても、持っていないものが多すぎます。
森友学園の問題で8億円値下げした交渉過程は「破棄した」と言い続け、国税庁長官に出世した佐川前理財局長も東大卒。財務省の規則では、「歴史的文書」に当たらない文書の保存期間を1年未満と規定しているそうですから破棄したんでしょう。しかし物理的破壊でもしない限り、たいがいのデジタルデータは復元できるはず。官僚の世界では、なぜか破棄したがまかり通る。たぶん「隠し抜く力」をお持ちなんでしょう。
最高にお勉強して、人を動かす階層に入ったのに、足りないものが多すぎませんか。
短絡的に「やり抜く力」を鼓舞すると、何が危険なのか
グリットを提唱する心理学者の著書『グリット』は、世界中でベストセラーだそうです。
出版社は、こう書いています。
ハーバード×オックスフォード×マッキンゼーの心理学者が
「人生のあらゆる分野での成功に必要な最重要ファクター」をついに解明!
世界の「能力観」「教育観」を根底から変えた
話題の世界的ベストセラー!ビジネスリーダー、エリート学者、オリンピック選手…
成功者の共通点は「才能」でも「IQ」でもなく
「グリット」(やり抜く力)だった!バラク・オバマ、ビル・ゲイツ、マーク・ザッカーバーグ…
錚々たる権威がその重要性を語り、
米教育省が「最重要課題」として提唱する「グリット」の秘密を初めて解き明かした一冊
さらに著者について、こう書いてあります。
ハーバード大で神経生物学を学び、
マッキンゼーのコンサルタント職を経て公立中学の教員となり、
オックスフォード大で修士号(神経科学)、
ペンシルベニア大学大学院で博士号(心理学)を取り、
「グリット」の研究によってノーベル賞に匹敵する
マッカーサー賞(天才賞)を受賞した、世界最注目の研究者、アンジェラ・ダックワース教授。
へーへー、そんな人のことを私は「なんていう底の浅い心理学者」だなんて書いたのか。なんていう身の程知らずだ(笑)
だけど、どんなジャンルでも一流になるには「情熱と粘り強さ」が必要だなんて、当たり前でしょう。
才能 vs 努力という風にどちらかを選ぶなら、努力の方が大切でしょう。かなりの才能があったとしても、それでナメてしまったら、どんどん追いつき追い越されるのは当たり前で。
しかし才能がいらないわけじゃない。どの程度の成功かによるでしょうけど、日本の中でスポーツでトップクラスになろうとすれば、才能と努力と環境が揃わなければあり得なくないですか。
あるいはビジネスの世界で成功するには、才能や環境は関係ない?
インテル元CEOの「パラノイアだけが生き残る」という有名なフレーズがありますが、このパラノイアとは偏執狂ではなく、病的な心配性というニュアンスだそうです。「情熱と粘り強さ」も言い換えれば、これでいいのか、これで大丈夫かと、いつまでも心配し続けることかもしれません。才能や環境ということよりも、そこを強調しないと生き残れないほど、過酷な競争だということなのでしょう。
過酷な競争、うん、確かに。世界に出て行こうとすれば。
世界で戦おうとすればね。
いやいや違う、日本ローカルな仕事をやろうとしても、世界が日本に進出してくるから過酷になる。
グローバルってやつね。
あれ、いや違うよ。外国人観光客は、日本で食事すると安いと言うよ。
1000円程度でこれほどのものが食べられるのは、日本だけだそうよ。
もしかして、日本はグローバルに過剰適応してるんじゃない。
過剰適応に引き込もうとしてるしてる人たちが、世界基準の競争より、過酷な日本にしてるんじゃない。
だって日本のラーメン屋は世界に進出してるけど、勝ってるっていうじゃない。
進出してるのは、自分でラーメン作れる人たちよね。で、けっこう高いよね。
炭水化物食べないようにしてるからラーメンは食べないけど、マーケティング的に勝算ある。原価低減もできるし、機械化・ワンマンオペレーションで固定費はもっと削減できると考えてる起業家が進出して勝ってるわけじゃないよね。
アンジェラ・ダックワース教授は「目的を達成するためにとてつもなく長い時間、継続的に粘り強く努力することによって、物事を最後までやり遂げる力」を言ってるけど、何にでも情熱を持て、じゃないよね。アンジェラ教授も書いてるけど「情熱を持って取り組めるもの」が対象。好きでもないこと、向いてもいないことを「情熱と粘り強さを持って、最後までやり抜こう」じゃないよね。
会社に入る前に「どんな仕事の担当になるか」細かく規定されてますか。日本だと、雇用契約に書かれていても、社員ならこれぐらいのことはやって当たり前、の幅が広いよね。和の精神だから、みんながやってることは、あなたもやらなきゃいけない。「何をやり抜くのか」以外に、チームとしてやらなきゃいけないことが多いよね。
才能よりも努力と二元論で言い出すと、そこのところがどうも。だって日本人は根性論大好きだしね。
好きなこと、適性があることは才能。好きでもないこと、適性のないことをいつまでも続けるのはバカだからね。
オリンピック選手やプロスポーツの世界では、みんな試合を「楽しんでやってきます」と言うのに、高校野球ではいまだに根性論みたいなことがまかり通っている日本。
だけど、数多くの成功者を調査研究してきた教授だって、「グリット」を持つ人を少なくとも10年20年の単位で追跡はしていないようで。成功者は皆「グリット」を持ってるといったって、調査期間が20年30年になれば、まったく違う結論になることもあるわけで。
常用すると何十年後に重大な副作用が出る薬だってあるし、アスベストみたいに後々重大な健康被害を持たらすことだってあるかもしれない。
オリンピック選手が現役引退後、どうなっているか
オリンピック選手、特にメダリストが「やり抜く力」を持っているのは、どこからも異論が出ないだろう。たいがい幼少期から過酷なトレーニングを続け、世界を相手に戦い、勝利する。これ以上の「グリット」を持つ人たちが存在するのか。
しかし、オリンピック選手は現役引退後、体調や体重のコントロールができなくなる人が少なくないばかりか、鬱症状に悩まされ、自殺してしまう人もいるそうだ。オリンピック選手になれるような人はストイックな素養があるんだろうけれども、長年にわたるプレッシャー、食事のコントロールや長時間のトレーニングは人間の限界に達してしまうのかもしれない。
長年といっても現役生活は20年もないのかも。浅田真央選手は20代半ばで引退。40歳を超えてなおトップクラスの成績をマークするスキージャンプの葛西紀明選手は、レジェンド・生ける伝説と呼ばれるほどの例外なんでしょう。走り回るサッカーも引退年齢の平均は、20代半ばだそうです。キング・三浦知良選手は、やはり例外中の例外でしょう。
ほとんどの世界レベルの競技者でも、年齢的には20代半ばでピークを迎える。それは肉体のパフォーマンスだけじゃなく、過酷な競争に立ち向かう意志の力も折れてしまうのかもしれません。
それだけではなく、鬱病になるのは、ホルモンの影響だそうです。私は、このことを高名なスポーツドクターから教えられ、驚きました。
人間には、意思とは関係なく機能する自律神経が備わっています。自律神経はリラックスしたときに活性化する副交感神経と、緊張や興奮したときに活性化する交感神経とがあります。
交感神経が活性化したとき、体のストレス反応としてアドレナリンが分泌され、心拍数や血圧を上げ、瞳孔を開き、外敵に備えようとします。アドレナリンが分泌されると著しく、パフォーマンスが上がるのです。
痛みなども感じにくくなるのです。
外敵というと凄い事態に思えますが、コンタクトするスポーツなら間違いなく分泌されているはずです。スポーツだけじゃなく、満員電車の中にいるだけで分泌されるといいます。アドレナリンは闘争or逃走のホルモンだと言われています。
スポーツではよく雄叫びを上げるとか、気合いを入れる出すとか、とにかく大声を出す場面が多くあります。あれはアドレナリンを自分で出すためなのです。通常コントロールできないはずですが、闘争のための緊張状態を意図的に作り出すために、声を出すのです。
これをオリンピック選手のように、長年アドレナリンを出し続けているとどうなるか。長年と言っても10年ほどだと思いますが、アドレナリンの分泌が続くと、血管がボロボロになります。そして、鬱病を引き起こす。
オリンピック選手、著名なアスリートはもの凄いプレッシャーで、そのことが鬱病につながるのかもしれません。ここのところの因果関係は、詳しく聞いていません。教えられたのは、スポーツや格闘技をやる人、子どもにスポーツを指導する人は、何を目的にするのか。何を目標にさせるのかということ。
子どもの場合、身体的な課題は多くあるのですが、そんなことよりも一流アスリートを目指すということは、一流になれなかったとしても大きなリスクがある。趣味や健康のためにやるなら、そこのところの線引きをきっちりしておかなければいけないということでした。
アスリートは故障してもやる。故障してもやるための、スポーツ医学がある。プロアスリートに、精神疾患は思いのほか多い。精神を病んでもやる?
もし故障しても、仕事上のあなたのミッションをやりとげますか? 「やり遂げる力」とは、そういう覚悟を求めてるわけよ。最上位の目標なんだから。
本当に才能より努力という発想でいいのか
将来、子どもをトップアスリートをしようとする親、学生をトップアスリートにするためのプログラムを導入しようとする指導者が少なくないそうです。まず肉体的資質がなければ、明らかに過剰です。
たとえばどれだけ食べても太れない体質なのに、相撲の世界に進ませて横綱を目指すトレーニングをさせますか?
過剰にアドレナリンが分泌されるような状況が、どれぐらいのものなのかは、私にはなんとも分かりません。分かりませんが「グリット」のことを読みながら、「グリットの正体って、ほとんどアドレナリンでしょう」と思ってました。
インテル元CEOの「パラノイアだけが生き残る」だって、病的な心配性を意味するなら、まさにアドレナリン過剰状態じゃないですか。
「やり抜く」んだとテンション上げて仕事している状態は、アドレナリンが出ているのではないでしょうか。それが過剰かどうか、人によって違うはずです。アドレナリンが過剰じゃなくても、長時間出ているなら、それは問題があるはずです。
よくビジネスは、戦争に例えられます。戦争をしているのだと。戦略論ならまだしも、人数や兵器が劣っているのに、それを根性で覆そうとする企業も少なくありません。
確かに、目的に向って一糸乱れず突き進む集団と、多様な価値観が許容されるゆるい集団が同じ人数で激突すれば、前者が圧倒的に強いのです。1/2、1/3の人数でも勝ってしまうかもしれません。
経営者が「やり抜く力」を言うのは、一糸乱れず最後まで突き進む集団でありたいからでしょう。仕事上は、ほぼどこでもそうだと思いますが、ユニークなアイデアや革新的な技術で勝負しようという企業ではなさそうです。アイデアや技術で優位性がないのに、一糸乱れず最後まで突き進むのは、その方向を経営者が間違っていれば全滅。
今多いのは、すでにあるものを自動化したり中抜きしたり。それによってコストを引き下げ、価格と時間の優位性で勝とうとしています。すでにあるビジネスだから、価格と時間を圧倒的に引き下げれば、勝算は高いでしょう。そのためには、人も交換可能なリソースとして、価格と時間が引き下げられます。
それも、どの程度か。完全に偏るということはないと思いますが、程度の問題です。
「シリコンバレーのIT系スタートアップ、ウォール街の投資銀行等々、超多忙な組織が増えている。こうした組織では、従業員は「理想的な働き手」すなわち、24時間仕事に黙々と打ち込む人材になることが求められる。このためには、仕事を他の何よりも優先させなければならず、そしてこの状況に異を唱えることはなかなか難しい」そうです。これはハーバードビジネスレビュー論文の紹介から引用したものですが、そういうところも、もちろんある。自分が向いているなら、そんな風に働けばいいのです。
ただ問題は、日本でそんな働き方をしても、欧米に比べて圧倒的に低い給料しかもらえないそうですが(笑)
「やり抜く力」論には、どれほどの汎用性があるのか
アンジェラ・ダックワース教授は、「グリット」を検証するために、ミリタリーアカデミーを調査して、厳しい軍事トレーニングに耐えて生き残る入隊者と、耐えきれずに中途退学していく入隊者を予測したという。
軍事教育学校って、何のためにあるかというと、戦地で活躍できる優れた軍人を排出することでしょう。途中退学するものと、卒業できるものとを予測して、どれほどの社会的な意味があるんでしょうか。ミリタリーアカデミーに入って「成功」とは卒業することでしょうか。
予測するなら、卒業生が戦地でどれだけ活躍できるかどうか。そして生きて返ってこられるかどうか。生きて返ってきた人の精神がどうなるか、の検証じゃないでしょうか。
それをしないで在学期間中のことだけを調査しているのは、科学者なのに意図的に外したのかとさえ思えます。「グリット」の前提が、学生時代にだけ適用できる成功の方法論なら、それも理解できますが。
ちょっとイジワルな書き方をしました。
本書には水泳のメダリストも取り上げられています。もちろん金メダルを取ることが成功ならそれでok。しかし前述のように、アスリートたちは特に現役引退後、さまざまなトラブルを抱えています。
数年単位の最上位の成功のために、全力疾走する。それだけなら、そのへんの自己啓発セミナーと大差ありません。
夏休みに読書するなら、まだこちらの本の方がマシかもしれません。
今日のBGM450【Chubby Checker - Let's Twist Again】
なぜかYouTubeのおすすめでこれが出てきて、もう病みつき。チャビー・チェッカーの 名曲Let's Twist Again。
なんたって1963年だって。いろんな映像つないでるけど、当時これでツイスト踊ってたのは今もう70、80のばあさんだわ。人生って、不思議。数年なんて、短期も短期(笑)
そういえば昔むかし「え〜い 踊ってしまえぇ」ってギャグがあったよね。
この動画はチャビー・チェッカーのTwist Аgain - The Тwist、それにDionやLittle Richardの曲もつないでるけど、Twist Аgain /The Тwistはベストに入ってる。