不透明なチカラですが、なにか?

テーマはいろいろ。というか絞れません。2013年7月以前は他のブログサービスからインポートしたので、リンクや画像等がなくなってるかもしれません。

村という文化

大津市の中学生がいじめで自殺した問題。民事訴訟でいじめた側は「遊びで、いじめじゃない」と主張しているということだけど、そうならこいつらにも死んだ蜂を食べさせたり、自殺の予行演習させたり、集団でトイレで殴ったり、金をせびってやればいいと思う。
まいどのことだけど、街中でやれば犯罪になることが、なんで学校内で起こると、ちょっとしたケンカですまされるんだろう。

学校という村の中では、起こったことをどう処理するか、外の世界にどういう内容で出すかは、村長である校長が法律のようだ。村長の上には、教育委員会という村長集団のホールディングカンパニーがあって、絶対的な権限を持ってるようだ。ホールディングカンパニーに出資しているのは、文部科学省というところで、これがまた利益を出すために、ああしろこうしろと思いつきを通達してくるらしい。何重にもなった管理体制。
ところが実際には管理されてるわけじゃなくて、書類がすべて。書類に書かれていなければ、いじめもなく、不都合なことが書かれていたら書き直してこいと迫るか、捨ててしまうというのがセオリー。今回は、見落としてたという荒技まで登場する(笑)


学校でいじめが起こるのは、競争させてるからで、生徒同士は敵。敵だから、当然のように、いじめは起こる。保護された世界なら、そんなことは起こらないのにとおっしゃる高名な思想家もいる。アホちゃうのと思うけど、勉強で、運動で競わなくたって、モテるモテないという競争は、必ず起こる。思春期になら、心理的には狂ったように競争してると思うんだけどな。的外れもいいとこだ。モテ競争まで、コントロールした方がいいと考えてるんだろうか(笑)
なんだって程度の問題だけど、競争のない保護された村がいいかどうか。空手の道場なんて、通う子は粗暴でいじめる側になってもおかしくないのがけっこういる。もちろん、普通の子供も多いわけで、道場内でいじめる-いじめられる関係になることだってあるかもしれない。だけど、少なくとも道場内では大人がいる前で、1対1で戦わせるから、いじめられる側が勝つことだってできる。そこで勝ってしまえば、いじめられて追い込まれるような精神状態になることも少ないだろうし、いじめてる側が心理的に優位に立つこともできなくなるかも。
私が行っていた空手の道場では、なんと支部長の息子が問題だった。ろくでもないクソガキで、大人でさえなめてる。支部長はキツく言葉で怒ってたけど、そんなことで態度が改まるような程度のクソじゃない。そんなの親が殴る蹴るしてでも、反省させなきゃダメだろ。こんなのに空手を教えるなよと思ってたんだけど。私はこのガキに対して、合気道の四教という技で片手を持って、「はい、こっちに並んでねぇ♪」とか言いながら痛めつけてた。ぎゃーとか叫んでたけど、親から見てもワガママでおおげさな子供としか思えないはずだ。それぐらい私は陰湿(笑)


あ、脱線し過ぎ(笑) 話を戻すと高名な思想家も保護したい、特殊な世界で置いておきたいと願ってるように、教師も校長も教育委員会も特殊な世界にしておきたいから、独自の掟を持っている。村の掟を無視して、訴訟なんかした親は許せない。ましてや自殺した生徒が、自殺なんかするから、世間に村の中のことが見えてしまったじゃないか。と思ってるんじゃないだろうか。

ここ数年、教員採用試験の不正が問題化したけど、そもそも村の外から人を入れたくないから、教師の子供を教員にさせたい。その場合の掟としては、小ボスにお礼を現金で持ってこいという仕組み。
教師叩き、公務員叩きをしたいわけじゃないけど、やっぱり特殊だと感じてしまう。うちの自治会でも、学校の先生は何人かいるんだけど、どうにもおかしい。近所の役割分担とか、そういうところにはほとんど興味がないとしか思えない。というか、常識がない。
反対に自治会長とかをやりたがるのは、公務員の退職者で、役所のつながりを続けたい。偉そうにしたがってるとしか思えない。教員村で生きてる人たちと、公務員村で生きてる人たち。どっちでもない一般人はしんどい。
あ、リアルでもバーチャルでも先生の知り合いはいるけど、あなたのことじゃないですからね、たぶん(笑)


いじめが起こる原因は、先生のせいじゃないだろうけど、なにより学校という閉鎖空間が問題。その空間で犯罪が起こっても、村の外には出さない。うがった見方をすれば、警察署が被害届を三度も受けつけなかったのは、学校村より大きい公務員村の掟。学校村で事件化させてないんだから、警察村から出ばるのはなぁ、躊躇しちゃうよなぁという心理はないだろうか。
数々の冤罪で、操作した側が罪に問われないのはなぜ? 警察の裏金事件で誰か捕まったんだっけ? 調書を捏造した検事が、退職すれば罪に問われないのはなぜなんだろう。こういうのってレアケースなのか? 防犯カメラは街中にどんどん増やしてるのに、取り調べを録画することに、いろんな理屈をつけて延々と引き延ばしてるのは、どうしてだ。
こないだ、このブログを読んでる人から「元警察官だ」というカミングアウトを受けたけど、あなたのことじゃないですから、きっと(笑) いや、警察官の知り合いもいるし、全部が全部おかしいわけじゃないとは思うけど、法律より、村の掟の方が優先されてるんじゃないだろうか。忙しいからとストーカー相談を受けつけず、慰安旅行に行ってる間に起こった殺人事件なんかは、まさにそうじゃないの。


いまちょうど、仕事じゃないけど、国立大学の先生から意味不明なメールが来てる。あることで「静かに、騒いでくれ」「ダークに、輝いてくれ」みたいなムチャクチャなオーダーで。まともにそのまま書くと、万が一このブログが読まれた時にヤバいので、言い換えてますけどね(笑) だけど間違いなく相反することを両立させろとおっしゃる。
これって、あとで誰かから「騒ぎ過ぎだ」と言われた場合には「だから静かにと言ったじゃないか」とおっしゃり、「静か過ぎる」と指摘されれば「騒いでくれと指示したろう」とクレームつけるおつもりなんだろう。どっちにしたって、直接作業する私の責任になり、ご自分は責任がない。だけど指示はしたよという実績は欲しいんだろう。
そんなのねぇ、私は村人じゃないんだから、掟は分からない。あ、たぶん掟では、自分は何もしないで、外に振るっていうのが正解なのかな。



こういうのって、まるで原子力村でも同じでしょう。活断層、調査しましたけど、ありませんでしたという電力会社。それを、そうかという保安院やお墨付きを与える御用学者。文部科学省は、そんな御用学者たちを、いいポジションに配置していく。
でも村以外の専門家が調べたら、なんてずさんな調査だと指摘された。法律違反の疑いが濃いと。ほら、原発事故なんて起すから、村の秘密が外に出ちゃったじゃないの。


国会の事故調査委員会。原子力村の癒着、怠慢、過信だと指摘したまでは良かったけど、でも犯人探しはしない。なぜならこれは「日本文化」だからとおっしゃる。
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根本的な原因は、日本文化に深く根づいた数々の慣習に見出すことができる。すなわち、私たちの条件反射的な従順さ、私たちの権威に疑念を抱くことへのためらい、私たちの「あらかじめ設定された通りに行うこと」へのこだわり、私たちの集団主義、そして私たちの島国根性。今回の事故に責任を負う立場に別の日本人が就いたとしても、結果は同じだったかもしれない。
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こんな理屈、冗談じゃないと思う。そういう意味のことをツイートしたら、何人かがリツイートしてくれたけど、日本文化のせいで、誰が責任のある立場になっても同じだったら、就職できなかった新卒の人を採用すればどうよ。そうしないのは、村の住民になるコースが決められているからでしょう。


村って、相互扶助みたいなことが機能してれば、そりゃあ利点は大きい。だけど村の外に向かっては、門すらない。官僚組織は、明治維新から。それ以外の国の基盤となるような組織は、第二次世界大戦後から続いてる。何十年も続けば腐って当然だ。腐ってるのに、さらに規制を強化して、村の拡大をしようとしてるからおかしくなる。人口が減少する日本で、村を拡大しようとしてるのは正気の沙汰じゃない。特殊なものとして、保護するのも正気の沙汰じゃないでしょう。
大津市の教育長の言ってることなんて、死んだ人間やその遺族の尊厳より、村の掟と総村長としての立場を守ることしか頭にないように思う。校長なんて、ニタッとして喋ってるところを見ても、人間性が欠如してるんじゃないのかとさえ思える。一般企業なら、とっくに交替させられてるんじゃないだろうか。


3.11後、村の機能が、民主主義としては、国民への責任としては何も動いていないことが次々に判明した。こういうのは日本全体の文化の問題なのか、それとも一部の村の文化が問題なのか。インフラは重要だけど、この道は村人専用だから一般人は、通行禁止、立ち入りも禁止みたいなことになってるんじゃないだろうか。治外法権の村が、あちこちに存在してる。

大震災があり、原発事故を起こしてしまった大きな時代の境目。大きな転換期なんだから、私は変化を先取りした方が生存率は高くなると思うんだけど。村を解体しないことには、どうしようもない。原発事故が誰が責任を持ったところで起こることなんだったら、原発を持つということ自体が間違いだし。学校内犯罪が揉み消される仕組みが当たり前なんだったら、学校の存在自体が悪だってことよね。
日本全体の文化の問題だったら、責任は日本人全体で、どこにも責任がないってことになる。
いくらなんでも、そんなアホな。ねぇ。



今日のBGM-178【 David Bowie -Boys Keep Swingingl 】

デヴィッド・ボウイがサタディナイトライヴに出た時の映像なんだそうだ。おお、コーラスにクラウス・ノミがいる。すげえ! いやそんなことより、この曲はボウイが息子に向けて作ったんだそう。少年の時には、何だって出来るんだ。少年はスイングし続けるのさ、みたいな歌詞。
そうだよなぁ、少年には、いくらだって可能性がある。未来が明るいと思えば、勢いで突き進める。少年である時間なんて、あっという間に過ぎちゃうんだから、永遠に続くなんて思わないで欲しい。